[コメント] 15時17分、パリ行き(2018/米)
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フランチェスコの祈り(「聖フランシスコの平和の祈り」とも)というのは、主人公のスペンサーが唱える「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください 憎しみある所に、愛を置かせてください 侮辱ある所に、赦しを置かせてください」云々という聖書のフレーズだ。小さい頃から母親と2人の親友以外にはヘタレ扱いされていたスペンサーは、人を助ける職に就くことが望みで、挫折はあったが、結局この祈りのとおりに望みが叶えられる。映画ではそれがあからさまに示される。
結局、人は日常の意味を知らない。日常は堆積して人生となるが、人は人生の意味を知らず、だがその意味は意味ある出来事によってふいに目前に顕れることがある。この映画はそれを描いたものだが、でもまあそんなことより、柔術の練習シーンとかベネチアでのひとときとかが面白かった。この映画の脇役は、「日常の振り返り」だろう。俳優は、主役でもなく脇役でもない。それが素人起用の意味なのだろう。
ところで、本人に、起こった出来事を再体験させたことの意味は何だろう。再帰的真実と虚構との境を消すことによって、オルタナティブファクトの時代を生きるヒントを見つけたいということか。
だとしたら、本作品はまだ答えにはたどりついていないのだろう。次作で答えに接近するのか、そうではなく本作を観た人が考えろというのか。どちらなのだろう。なんか、監督に宿題もらったみたいで見終わったあとに開放感がない。次作を観るまでに考えてみるか。
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