[コメント] 男性と女性(1919/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
貴族社会では、執事のクライトンにとって令嬢のメアリに対する想いは、はかないもの.それでも想いを寄せるクライトン.そして、そのクライトンを慕う召し使いのトゥイーニーの想いも、また、はかない想いだったと言ってよいのでしょう. 運命のいたずら、ヨットが漂流し主従の立場が逆転する.クライトンは孤島における生活で、王として君臨し、憧れのメアリの心も自分のものとするのだけど.
「余がバビロン王の頃、汝は奴隷だった」、ヘンリー詩集から引用されるこの言葉が、この物語の全体に関わって行くので、先に書いておきましょう.ついでに書いておけば、トゥイーニーはクライトンに対して「あなたの奴隷なら」、と言うのですが.
バビロンの挿話から.バビロンの挿話では、メアリが奴隷の役.「余に服従するか、檻に入るか選ぶがよい」、奴隷の女は檻の中に入ってライオンに食べられてしまうのだけど、この出来事を一言で言えば、自尊心を現していると言えます. この出来事の前に「余は汝を捨て、汝の誇りを傷つけた」、と、字幕が入るのですが、誇りを傷つけるとは、自尊心を傷つけたのですね. そして、ここで注意しなくてはならないのは、孤島の生活で奴隷だったのはメアリだけでなくトゥイーニーも同じ.「余は汝を捨て、汝の誇りを傷つけた」とは、クライトンがメアリと結婚を決意することにより、トゥイーニーのクライトンに対する一途な想いを捨て去ったことも、意味していると言わなければなりません.
この挿話は、前衛芸術の表現を借りればオブジェと言ってよく、これ以降の出来事を修飾する、分かりやすく言えば、これから起きる出来事における大切な流れを、暗黙のうちに指し示す役目をするのです.
船が通りかかり、のろしを上げるのだけど、クライトンの心は微妙に揺れ動く.以降、トゥイーニーと一緒になる決心をするまで、揺れ動き続けると言ってよいのでしょう. 「本当に愛していれば、身分の差なんて関係ないわよ」、メアリの心は、この言葉の通り本当にクライトンを愛している.だからこそ、クライトンの心は揺れ動き、同時に正しい愛が正しい愛を導き出す、トゥイーニーのクライトンへの想いも正しいものであることを、クライトンに教えることになりました.
救出され元の貴族の生活に戻っても、メアリのクライトンに対する心は変わらなかった.その変わらない心が、以前より自分に想いを寄せていたトゥイーニーの心も、また変わることのない心なのだと、クライトンに教えることになったのです. トゥイーニーは食事をするにしても下品、大口を開けて食べる様をはしたなく思い、クライトンはトゥイーニーを見下していた.けれどもそんな事よりも、もっともっと大切にすべき心とは何かを、変わることのない心こそ大切にすべき心なのだと、クライトンはメアリの変わることのない心から、知ることになったと言ってよいでしょう.
さて、もう一度、「余がバビロン王の頃、汝は奴隷だった」.
狭く捉えればメアリが、広く捉えれば他の全員が、孤島の生活ではクライトンの奴隷でした.けれども、元の貴族の生活に戻ったとき、クライトンは島での出来事を話さなかった.それはクライトンがメアリを愛しているからであり、メアリもまたクライトンを愛しているから、と、言わなければなりません.「余は汝を捨て、汝の誇りを傷つけた」、と、なることなく、貴族に戻ったメアリはクライトンを愛し、クライトンもまたメアリを愛した、と言えるのです.
心は愛するためにある.自尊心とは、愛する心を大切にすることなのですね.(相手が自分を愛する心を大切にすることから、生まれると言ってもよいかしら)
この映画、おそらくセシル・B・デミルの作品中では、最もよい作と想えるけど、残念ながらフィルムがひどい.ひどいのを通り越してひどいことを書き添えて置きたく想います.
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。