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[コメント] 狂った果実(1956/日)

頑張っている箇所がすべて、鼻持ちならない気障な演出に感じられて苛々するが、この外連味の延長線上に『砂の上の植物群』を作ってくれたので許す。助監督として蔵原惟繕の名が登場したことにも納得感。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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石原慎太郎の原作・脚本によって、弟の石原裕次郎演じる滝島夏久が弟・春次(津川雅彦)と仲良くからかい合う様を見ていると、どうも何か、石原兄弟が間接的にじゃれあっているのを見せられているような面倒臭さを感じるのだが、純朴な弟が騙されていると感じた兄の怒りがその女・恵梨(北原三枝)への欲望と分かち難く絡み合ってしまうプロットは面白い。

とはいえ、生ぬるい兄弟愛や、若者たちのモラトリアムな寄る辺なさからの転換が、激しい化学反応を生むことはなく、結果、表面的なテクニックでパッショネートな劇をでっち上げるのにも限界があった。海上で展開する男女の情念劇というと、後の、ロマン・ポランスキーによる『水の中のナイフ』を想起させられるが、その見事な構築性と比べても、本作はやはり尖鋭さがまだまだ足りず、幾つかのショットに見られるセンスも遊戯的に過ぎる。反面、蔵原による『狂熱の季節』のようなエネルギッシュさが画面を充たすわけでもない。先駆け的な作品であるせいか、まだ生煮え状態にとどまっている感がある。

ラスト・シークェンスの、春次のモーターボートが、兄と恵梨を乗せたヨットの周りを延々と周回するシーンは、二人の裏切りを知った春次の怒りと、それをどう表現するべきかという逡巡を感じさせるのだが、夏久が弟の無言の執拗さに笑顔で降参を告げ、海に身を投じた恵梨が春次のボートに泳いでいく――和解の意思の表明が、却って春次の一途な思いに「殺意」という形をとらせることになってしまう。ここで春次がとった、ボートの舳先を二人へ向けて突っ込ませるという行為は、『太陽の季節』の障子破りと同じような衝動の産物なのかもしれない。

フランク(岡田眞澄)は、劇中の若者たちが志向する「格好良さ」の一つの理想形にも見えるのだが、そんな彼は、用があるからその「高い鼻」を貸せと因縁をつけてくる連中と喧嘩するのは友人らに任せてしまい、滝島兄弟の三角関係にも我関せずの態度でいながら、夏久の心理を怜悧に分析してみせた上で突き放す。春次から「寂しそう」だから好きだと言われていたフランクのその孤独は、彼が夏久に持っていかれたヨット、春次に貸してやると約束していたヨットが、春次によって無惨に夏久もろとも破壊されたその残骸を海上に浮かばせている姿に体現されていたようでもあった。

若き日の津川の美しさ(ちょっと意外すぎるくらいだ)に目が惹かれる一方、裕次郎の、ビーバーのような前歯を見せるアップは微妙なものがある。尤も、春次と恵梨のボートが着くのを待っているシーンでの、些かポーズを決めすぎな立ち姿は、スラリとしていて美しい。

(評価:★2)

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