[コメント] 或る終焉(2015/メキシコ=仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ティム・ロス演じるデヴィッドが向き合う3人の人間。サラ、ジョン、マーサ。皆それぞれ病気も症状も、立場も違うが、彼女らの家族は、皆デヴィッドに任せっきりで、距離を置いている。
最初、デヴィッドは「変な人」にしか見えない。やがて、ストーリーが進み、彼が背負っている十字架が判ってくると、患者たちへの接し方は、まるで「家族を介護する」ようだったのではないかと思えてくる。
サラの家族が、式の後で話しかけてくるが、私には、デヴィッドはサラを「家族として、みおくる」為に参列したのであって、思い出を分かち合う為に来たわけではない、と感じた。
そんなデヴィッドに対して、患者たちの信頼は厚い。だから折り合いが悪かったジョンの家族たちは、自分たちより近くにいるデヴィッドに嫉妬、危惧の念を抱いていたのではないか?
そしてセクハラ騒動、はっきりいえば無茶苦茶な手段だが、実際の家族にはかなわない。それは彼にとって、人として、看護師として、到底納得できないことだろう。その後のジョンの事は描かれていないから判らないが、また怒鳴り散らかす様子は容易に想像できる。
そしてマーサの番だが、最初マーサは依頼人で、横に座る細いじいさんが患者だと思った。デヴィッドがWebで見ていた女の子が娘で、息子の事も少しずつ語られたが、まだ断片的だ。
マーサが言う「手伝って」の意味は、「その時」まで判らなかった。何という選択だ。至ってマーサは冷静だ。冷静にデヴィッドに頼んでいる。その選択を肯定できないけど、その気持ちは判るから、つらい。
そして、結末。思わず「え゛っ!」と声をあげてしまった。劇場中が凍りついた。これは、全く納得できない。ファイナルデスティネーションかよ。これでは誰も救われない。色んな事の決着がつかないままだ。まさか「決断の報い」だとかだったら、怒るよ。その意味を考えたけど、見つけられない。
というわけで、釈然としないが、もやもやのまま、考えさせられた。
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