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[コメント] 迫り来る嵐(2017/中国)

現実に気づかず、あるいは目をそらし迷路に堕ちた男の話だ。開放改革政策が始まり、香港が返還され、庶民の間にも変革の気配が漂い始めた1997年に事件は起き、10年後、青天井に突き進む経済成長の象徴として北京オリンピックが開催された2008年に物語は閉じる。
ぽんしゅう

名前を問われ「余分の“余”。国家の“国”。偉大の“偉”。余国偉(ユィ・グオウェイ)」と応えた男は、「香港で美容院を開きたい」という女(ジャン・イーイェン)の話を聞き「それはあまりにも大きな夢だ」と驚き、あなたの夢はと問い返され「俺の夢は小さいので実現したときに教える」と言いよどむ。

ユィという男(ドアン・イーホン)は犯人を捕らえたいという、あたかも正当な欲望の達成のために、全勢力を費やし猛進する。しかし、犯人探しという行為は、起きてしまった過去を清算し、平穏と満足を取り戻すといういわば後ろ向きのきわめて保守的な行為なのだ。男は、未来に目を向けることを拒み、新たなモノを受け入れるという「現実」から、それがあたかも生きるものの本能的であるかのように逃避したのだ。

この、いつの間にか“とり残されてしまった”という感覚は、あのポン・ジュノが弱冠35歳で撮った傑作『殺人の追憶』の寂寥感に似ている。韓国社会が80年代に体験した価値の混乱を、中国は10年遅れて90年代の終わりから2000年代に通過したということなのだろう。経済、文化、科学、軍事、民族、国土、国民性のどれをとっても掴みどころのないこのアジアの大国は、これからいったいどこへ向かうのだろうか。・・・そんなことを考えた。

本作のドン・ユエ監督は1976年生まれの42歳。昨年、観た『長江 愛の詩』のヤン・チャオ監督は1978年生まれの40歳だそうだ。改革開放政策が始まった1992年には、まだ10代だった世代だ。二人の作品には「変革」に対する戸惑いや厳しさよりも、どこか醒めたようなノスタルジックな気風を感じる。市場経済体制の波を自然に受け入れたポストジャ・ジャンクー(1970年生)世代とでもいうべき、新しいジェネレーションを成す作家たちなのかもしれない。

(評価:★4)

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