[コメント] 嵐電(2019/日)
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8ミリフィルムを老人たちと見て、そのなかに自分を発見する。この失恋はみんなしていることなのだと気づく。みんな狐と狸に騙されたか。個人的な感慨が共有される。ああ上手いなあと思うが感動はできない。
再会して嵐山で映画撮って、その科白はかつての御室駅の告白と同じで、監督は撮り直しを指示してもっと自由にと云う。これも上手いと思うが感動はできない。
帷子の辻駅の来歴通り、死んだ自分に経帷子が被せられるショットもそうだし、『ゲゲゲの女房』系列のお化け話もそうだ。東北弁(京都にまで修学旅行で来るのだろうか)の学生の演劇的な科白呼応も。
なんでだろう。鼻に突くのだ。それはたぶん、映画に愚直なところがなくてこなれ過ぎているせいだと思う。登場する三人の女性は平凡な容姿で、男への三者三様のアプローチをしてどれも成功する、という配分もそうだ。長い間温めすぎてしまった脚本という印象。 そんななか、素直にいいと思ったのは御室駅前での長回しの告白の件。御室仁和寺はミゾグチの居宅があった場所だから、長回しは敬意をはらったのだろうか。これはいい件だった。
嵐山に護岸工事のショベルカーが入っていたのは、台風の復旧だっただろうか。方言指導ってのは安い映像ならあの程度なのだろう。個人的には懐かしい風景で満足。嵐電沿線では山田洋次の『京都太秦物語』もあったが、比べれば本作はロケが丁寧なのがいい。まるで方向が違う双ヶ岡交差点が嬉しい。冒頭収束と「藤岡舞踏研究所」近辺の駅はどこか判らなかった。いつか再訪したいものだ。
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