[コメント] フェリスはある朝突然に(1986/米)
古代人のような幸運への恐怖症は運の持続が保証されない未決囚の状態に耐え切れず、自罰に走るか物証そのものへのこだわりに帰着する。自分の運は自助の産物だと確信するためにあえてlazyになる。
様々なすれ違いで運を外化する手管はミュージカルの物量で80年代の文明を構造化する。その太平の世は卒業と称される終焉の予感に脅かされているが、そこで男は女たちの度量と官能に究極の物証を見出すことだろう。
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