[コメント] 婦系図(総集編)(1942/日)
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「若きウェルテルの悩み」をこの前はじめて読んだが、周辺事情で驚かされたのがウェルテルが知り合った農民の子供らに決まり事のように施しを与える件だった。18世紀の貴族とはそうしたものだったらしい。本作でも凸ちゃんが産みの母に、彼女の借金が返せるほどの大金をお土産代わりにほいと渡す。これもちょっとした衝撃を受ける。
古川緑波が芸者衆に向かって彼女らを「泥水商売」と呼ぶのもすごい。泉鏡花もマキノも、戦後を知らずに描写しているのだから「本物」だ。戦前の映画はやはりひと味違う。山田五十鈴の無学と合わせて、別世界を覗いているように見える。戦後の『婦系図』は雷蔵のものを観たことがあるが、こんな違和感は受けなかった。
「総集編」は当時の邦画の悪癖で、ストーリーが省略されまくっているのを前提に観るのは実に情けない気分にさせられる(ミゾグチの『忠臣蔵』は不評だったから「総集編」としてアレンジされず前・後編のオリジナルのまま残されたらしいから、逆に云えばヒットした証明なのだろうが)。全編味わえないのは、戦後に生まれた我々が悪いのか。しかしこれを差し引いても、素晴らしいシーンの連続で圧倒される。おこぼれを頂戴している気分だ。
長谷川一夫が五十鈴に別れを告げる夜道のクレーン、「嫌です」とお道化る五十鈴、駅舎で一夫を追う五十鈴を仰角で追うキャメラと遂には表情を凍りつかせる五十鈴、緑波の座敷にねじり込む山本礼三郎の心意気と、科白の内容によって背後に誰を映すかわきまえたキャメラの的確さ、置屋訪問の際の半分しか事情を知らない凸ちゃんの巧みさ、蕎麦屋での五十鈴の告白、枕元での緑波、そして最期の亡霊、自然に会話する一夫がまた泣かせる。名シーンの連発だ。
その、ロシアに残っていたという後編は何処で観れるのだろう。緑波はスパイだったとか一夫は爆弾の研究をしていたのだとか云われているが本当? ロシアでしか観れないのなら行かなきゃならない。フィルムセンター頑張れ。
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