[コメント] ハナ子さん(1943/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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随所にマキノらしいショットがあり、町内の空間把握など優れものだが、その真ん中にポリボックスがデンと構えられ、フーコーの監獄そのものの体を成しているのがおぞましい。そんななかで悪名高き「トントントンカラリと隣組」が始まり、相互監視社会が完成している。このご町内、やけに明るいのはプロパガンダな誇張なのかも知れないが、しかしある意味リアルなのかも知れない。第三項排除な異論を排した共同体とは明るいものなのではないだろうか。「戦時はみんな明るかった」とはよく耳にする話だ。社会全体が狂っているとき、個々人は狂う必要がない。「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」とも云う(太宰が「右大臣実朝」を発表したのも1943年だった)。
ラストの轟由起子を追う仰角のキャメラも芒ケ原もマキノらしさ全開で見事なものだ。こんな作品に浪費させられて勿体ないし、轟も一番美しい頃(原節子に似ていたのだ)に時代の巡り会わせが悪いと同情してしまう。しかし、Wikiによれば下記のようなことらしい。
「戦意高揚映画でありながらアメリカのバーレスク映画の影響を受けた作品は、検閲により多くのシーンがカットされた。特に、出征する夫におかめの面を使ってハナ子がおどけるラストシーンには、本来はおかめの面に隠れてハナ子さんが涙を流していたという場面が存在しており、検閲のカットにより意味合いの違うシーンとなってしまっている。」
もしこのシーンが残されていれば、木下の『陸軍』(じゃああのラストはなんでカットされなかったのだ。おそらくいい加減かつ政治的に仕事していたのだろう)のような作品だと後世に評価されたのかも知れない。この全編躁状態の作品の最後にサラリと涙を挟むなんて見事ではないか。
確かにツナギの不自然な箇所は多く、たとえば砂浜を大勢で散歩する件では、凸ちゃんが傷痍軍人を気にかけるシーンの後、一気に飛んでふたりが仲良く並んで「月月火水木金金」を歌う(歌わせるなよ)訳だが、その間に当然存在したはずのふたりの会話、おそらくは「どうしてお怪我なさったの」云々がぶち切られているのだろう。
三国防共協定(1937年)の報せにバンザイしてから直ぐに空襲があるのもよく判らない。「東宝舞踏隊」なる強面な名前を持つ面々のマスゲームが三度あり、ハリウッドというよりも北朝鮮の映画かと見紛うが、三度目の玩具のダンスの前後に何も物語が付属していないのもおかしく、多分生まれた赤ん坊に玩具を与える云々という贅沢に鋏が入れられたのだろう。検閲恐るべしである。点数は検閲込み。
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