[コメント] シン・エヴァンゲリオン劇場版(2021/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
僕は1995年からエヴァンゲリオンを見ている。その前のトップをねらえ!からで、 王立宇宙軍からで、DAICON IIIからだ(僕に見せてくれた水野君、ありがとう!)。
旧劇場版はいい。テレビ版の後始末だ。「お前らアニメなんかに夢中になっちゃってバカじゃねーの」は、 オタクが原作者の庵野を差し置いて「エヴァとはこうだ」とフィーバーしてたから、へそを曲げたんだろう。
新劇場版はエヴァのパチンコ台で儲かったから作る気になったんじゃないかな。新劇場版は制作において誰かから出資を受けてない。 全部庵野の持ち出し。ということは「ちょー巨大な同人作品っと」に過ぎない。
新劇場版は前編・中編・後編・完結編の4部作で、前編は2007年初夏、中編は2008年陽春、後編と完結編は同時上映で、 2008年初夏に公開される予定だった。
2007年の10月に、歌舞伎町の映画館に『序』を見に行った。見終わったて近くの喫茶店に入ると、みんなエヴァの感想会をしていた。 僕が「来年の春にやって、夏で完結編だそうですよ」と一緒に見た女の子に言うと、 「10年ぐらい終わらなそう」とだるそうに言った。13年かかりましたよ!
『破』が1年ちょっと延期したとき、完結編を待つような気持ちは無くなっていた。 今で言うところの「作者病気療養のため、長期連載休止」みたいなものだ。 同人では「すみません、落ちました><」とよく聞くが、ファンからの期待があるが作者のモチベーションが無い状況が多分にあるだろう。 自分ではない他人から言われると描きたくなくなるマン。
それでも新キャラマリが登場、アスカと弐号機が話に加わり、テレビ版とは少し違う展開、 テレビ版と同じレイの特攻、レイが使徒に捕食されてセントラルドグマへ。 そこでサードインパクトお構いなしに、「綾波を、返せ!」「行きなさいシンジ君!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」 「いいんだもう…これでいいんだ」とイデオン落ちを匂わせるが、まだ2作ある。 ホモ要員のカヲルがシンジ君を助けに来て、ゲンドウはいつも計画通り。それでスタッフロール後の、あの予告編よ。 答はお預け期待持たせ商法ここに極まれり!ですごくいい感じ。このときがエヴァの作品としての最高潮だったんじゃなかろうか。
それで2012年11月の『Q』。『Q』のことはひとまず置いておく。が「シンジに説明すれば済む話じゃん」とフラストレーション。 ゲンドウも「私がやりたい人類補完計画は」とみんなに説明してれば、ユイとうまくやる方法だってみつかったんじゃ、 と思うけど、ゲンドウはいい。そうゆうキャラだから。だけどみんなが不自然にシンジに何も説明しないのって、 周りからの疎外感の表現方法なのかとか、14年建った年月の隔たりなのかとか、好意的にも考えたけど、ただただモヤモヤするを通り越して、 作品から嫌な汁が出てきてる気がした。あのカヲルの役立たずよ。なにが第1の使徒だよ。知恵の実食べてないだけあって頭悪いな。 置いておくと書いたが、言及してしまった。
2016年夏に『シン・ゴジラ』が公開されて、エヴァに対するやる気がなさそうだった。 ちなみに『シン・ゴジラ』は「作品として正解がある映画」だと思う。 ゴジラが表れた場合の現実を追求すればいいからだ。登場人物の意思で世界が変わったりしない。 作りやすかったんじゃないだろうか。
2019年1月31日のTwitterで「打ち入り」をしました。って。これから作るのかよ!&言ったからにはもう作らざるをえない。
7月6日、「0706作戦」。「ワイもちゃんと作れるんやで!」とCGの出来に先走ったか。
12月27日、公開日を2020年6月27日と発表。
2020年4月17日、新型コロナウィルスで公開延期。どうしようもない理由だけど、ちょっと喜んでそう。 もしかしたらまだ完成してないのかもしれないと疑う。
10月に新たな公開日が2021年1月23日と発表され、12月末に製作作業が終わった報告、と社内試写。 見た人大絶賛の嵐しかない。泣いたって。胡散臭い感じがしてくる。
2021年1月14日に再延期。夏前かなと思ってたら意外と早く3月8日。
それで7月21日の終了日まで見に行かなくて、DVD発売まで見れないと思ってたら、 アマゾンプライムビデオで8月15日から配信。15日に見た。
庵野は『Q』をボロクソに言われて凹んで鬱になったそうだけど、「Qもすごく面白いですね!」って言って欲しかったのかな。 作ってる周りの人はどんな意見だったんだろうか。人の作品には口を出さない、かな。 理解されずクソミソな評価されてメンタル病んじゃう。商業的成功失敗は関係ないのに、 世間の声を正面で受けちゃうんだな。受けない人は死んだほうがいいけど。
宮崎駿なんて、自分の最後になるかもの作品で「飛行機とロリコン」やで。 自主制作なんだから作りたいもの作ればいいのに、世の中を意識しすぎて『シン』になった感じ。 「これでみんな納得でしょ?文句言われないように作ったからね!」みたいな。また拗ねてる。
結局エヴァの登場人物は「惚れた腫れた」でしか動いてないんだよね。 「今日、ちょっとお腹が痛くてエヴァに乗れません」も無い。 綾波がブスなだけで成り立たんよね。綾波に「碇君、エヴァに乗って私を守って」って言わせときなよ。 そのうち綾波にも「うるさいな!自分で乗ればいいだろ!」って言い出すよ。 初号機の中のユイもこっちに来ようとしてるゲンドウ鬱陶しいかもだろう。 中で夫婦喧嘩したら二人して暴走するよ。ゲンドウも初号機にダウレクトエントリーしなさいよ。 ある程度使徒を倒したときに、ゲンドウが飛んできた岩かなんかに当たって死んでたら、 残りの使徒を倒して、ゼーレは何にもできないし、丸く収まったよね?
裏死海文書に書いてあるからゼーレの言うこと聞いて、エヴァ作って使徒と戦うのはいいだろう。 それで死海文書に書いてあるなら、人類補完計画を遂行しなくちゃだわだと思うな。 使徒に乗っ取られたくありません、サードインパクト起こしてインフィニティにはなりたくありません。 「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」って言うけど、また月が飛んでくるかもよ? 「エヴァのいない世界」って、聞こえはいいけど、使徒を倒したあとゲンドウがいっぱいエヴァを作ったり、 エヴァに乗りますもう乗らない乗りたくない乗らせてください乗らんといてくださいエヴァに乗るしか無いんだって、 女子からけちょんけちょんな扱いされて、(地球から女子が居なくなれば!)って、ホモの考え方だよ。 エヴァが無くても「会社に行きたくないんだ」「碇君が会社に行かなくてもいいようにする」「仕事をしなさい」 「僕はこんなところでスイカに水をやることしかできないが、シンジ君。休むなら会社に電話したほうがいいんじゃないか」 「もう、ほっといてよ!」
「ユイに会いたかったからこんなことしたんだ」「そういえば許されると思うなよ!」「だめなのか?」「だめだろ。ユイに聞いてみろよ」。
「親子の対話、父親との邂逅にもって行けばみんな納得すると思うなよ!そんなのは今どきLINEですませろよ!」 結局最後は解り合うしか道がないじゃん。今まで解らなかったから色々すれ違いばっかりって、 冬月に説明する前にエヴァのパイロットのシンジを仲間にしとけよ。シンジは必要なのか要らないのかどっちなんだよ! →カヲルやダミープラグやアスカでもトリガーになってサードインパクトを起こせるので、シンジは要りませんー。
ウルトラマンみたいにゾフィーとかウルトラの父が出てきても良かったと思うな。 シンジの成長物語として、最後ゲンドウのアディショナルインパクトに便乗しただけじゃん。 槍があれば。槍があれば。槍作りましょう。できました。使徒殲滅のためにリリスから引き抜いて、 月衛星軌道まで投げたのかっこ良かったなー。
つまりね、エヴァンゲリオンの今まで広げてきた風呂敷の終わりが「ゲンドウとシンジ」にまとめていいのかと。 逃げだと思うな。親子愛ですよ!なんか文句あるんですか?親子愛なんですよ?ゲンドウもシンジのこと考えていたんです。 ゲンドウも子供時代辛くて、ぼっちで、社会不信で、そんなときユイと出会ってハッピーなときにエヴァに入っちゃって。 ユイに、もう一度ユイに会えさえすれば世界は修復されて全部うまく行くんだ!裏死海文書に書いてあるのかよ。
黒き月と白き月を作った第一始祖民が地球に様子を見に来て、「なんかすごいことやってるね。 アダムとリリスをこうしてこうやってこうすれば、人類と使徒も仲良し。病気にもならなくて永遠の命。 みんなすっごく解り合って、すれ違いや争い無し。その上みんな格好良くなって可愛くなって、 性格も頭も良くなって、みんな面白くて優しくなって環境にもやさしい人類になるのに。」
「いえ、そんなことは我々は望みませんわ。我々の行く末は我々が決めます。例え天国へ向かう道だとしても、 自分の足で歩きたいのです」「加持リョウジも生き返るよ」「加持は私の中ではもう死んだ人間です。 大切な人を生き返らせてまで誤った道を選びたくありません」「あれ、俺どうしてこんなところに。。。」「加地くん!」
さすがあんなエヴァンゲリオンの演出を作った第一始祖民。
ゼーレが成仏した後、ゼーレの計画はどっか行っちゃったね。いちばん頑張ってきたのに。 カオルを救ってあげるのなら、他の使徒も救ってあげなよ。仲間じゃないか。
最後実写になるところは「これで終わりね!」って黙って強い念波を送ってるよう。
それで、それで、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』について、 「最高傑作です」とか「本当に綺麗に終わってすごい!」とか「見る人によって無限の解釈ができますからね」とか、 「カオルが自分自身を救いたかったってところで泣けました」とか、 自分の価値観や語彙力がないバカが、エヴァを褒めておけば間違いじゃないしおしゃれだし、 批判するのは勝手ですけどね、じゃあみなきゃいいんんじゃないですか。
トップをねらえ!と王立宇宙軍も見なさいよ!エヴァは設定やキャラや世界観や音楽や言葉が素敵だけど、 話の中身はスカスカじゃん。逆襲のシャアはみんなに「傑作」って言えるけど、 エゥーゴやアナハイム・エレクトロニクスのパーカーは着たくないのよね。 ララァはインド人だし、フォウは追っかけられないし(ミハルもね)、一時期プルシリーズがそれになりかけたかもだけど、
エヴァは世界観として映えるよねー。これがアメリカのSF作家が書いた「少年の起源」とかいう小説だったら流行ってない。 ワイは題名が引用されてる小説も読んでるのもあるんだからね!庵野に聞くなら庵野に近い価値観を持ってるワイの話のほうが、 「そんなこと知らなくても良い作品はわかりますよ!」って言ってそうな若い喋りたがりに言いたい。 「イデオン全話見たのか?」。ワイは劇場版で済ませたけどな。白旗の意味と、最後「もう遅いわ!」「まだ遅くない!うわー」と、 みんな死んで一件落着を押さえとけば。イデオンの全方向レーザーは、イデオンの中はスカスカだから、実はたくさん積み込んであるミサイルなんだ。 白旗の意味が皆殺しって勘違いで、後ずっと争いで最後全滅。大事なのが「勘違い」ってことは視聴者には明かされてること。 誰かみたいに「問題ない」とか、後で「そうだったのか」とか、無い。富野の作品性。
その作品が面白いかつまらないかの基本的なところは、作り側ではなく大多数の見る側にとって不自然さや違和感の無い話の進み方だと思う。 つまらない作品は、作りての都合や予算で我々の世界には無いご都合を起こす。追っかけられる切迫感を出したいから自動車のエンジンかからないとか。 「映画のお約束じゃん」って、それバカにしてるんだからな。携帯電話は圏外だわ、追っかけられてて転ぶとか、 そんなんでヒヤヒヤするかよ!「警察呼べばいいじゃん」って言われないためだけのつまらん演出だからな。 ドラえもん見てて「ドラミ呼べばいいじゃん」ってみんな考えないだろ。「ドラミはいま定期健診だから。。」ってのは前振りだからな。
と、ヱヴァンゲリヲン新劇場版にはこうゆうつまらなさが見られて、その理由は庵野が世間を気にしすぎて作った作品だからだと思いました。
『シン』が公開されるまで盛んにされてた考察の「世界AB説」とか面白かったです。ゲンドウや冬月の魂は2つあるとか。 青葉シゲルがガフの扉通って片方の世界に行って、ビデオカメラ回してきたとか。 ヴィレの基地は白き月にあって、US作戦は白き月から行われたとか。
なんでネルフ基地でトウジのジャージが出てきたの?
終わり。
#もう一回作ってもいいと思います。
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