[コメント] トムボーイ(2011/仏)
少女ロール(ゾエ・エラン)は自分に正直になるために友だちの輪の中で嘘をつく。いや、もう少し正確に言うなら嘘をついている相手は友だちではなく両親だ。もっと言えば、それは彼女にとって嘘ではないのだ。少女は、まだその矛盾に気づいていないようだ。
少年になろうとする少女。その少年が少年でないということへの友人たちの違和。少女は少女であって欲しいと断じる母。身体的な「生理」と社会的な「体裁」のギャップが生み出す、そんな矛盾を理解するには、少女はまだ自分に素直すぎるのだ。
少女ロールの素直な行動を、憂うことも、危ぶむことも、同情することもなく、何もしないことが少女を理解することなのだと、ただ見守るようにセリーヌ・シアマは視線を注ぐ。思えば傑作『燃える女の肖像』もまた、見られることを拒む女と、その女を義務として見なければならない女が「見つめ合う」ことで、互いに魅入られていく“視線”の映画だった。
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