[コメント] 犬王(2021/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
上映時から好評を聞いていましたが、日本のアニメがゴールデングローブ賞ノミネートされたということで、いよいよ見ておかねばと思い鑑賞しました。 ただ最初の鑑賞後感としてはあまり芳しくなく、まあ映像的な素晴らしさは感じましたが、内容的にはピンと来ず、そもそもミュージカル自体の相性もさほど良くはないのでぼちぼちの評価に落ち着いてしまっていました。
ところが改めて作品について調べたり監督のインタビューを知ったりするうちに、自分の中での印象がガラッと変わってきて、もう一度見た時には何故そういう表現をしたのか、というのがパズルがはまるようにしっくり来たんですよね。 ということでその辺りの自分にとってのポイントとなったところを中心にレビューさせていただきます。
本作はそもそも室町時代に確かに実在したとされる能楽師の犬王という人物がいて、しかしそれ以外の情報が一切ないというキャラクターがメインに据えられています。 彼は平家の呪いを一身に受け、異形の姿としてこの世に生を享けますが、琵琶法師の友魚と共に一世を風靡していくわけです。
ミュージカルアニメーションと謳われていますが、正直自体には似つかわしくないロックミュージックを奏でるんですよね。 エレキギターのような音が鳴り響き、イルミネーションをちらつかせ、現代的なライブ風演出はどうにも時代に不釣り合い過ぎてついていけなかったんです。
しかし、これは監督自身もおっしゃっていましたが、我々が知っている歴史っていうのは作品として語り継がれてきたものしか残っていないわけですよね。本作で言えば、それは琵琶法師たちが語った「平家物語」であり、もちろんそれは紛うことなき日本を代表する古典作品なわけですが、じゃあそれが全てかと言われれば、当然そんなはずはないんですよね。 それなのにも関わらず我々はそこに描かれていることが全てだと錯覚し、そして疑うことをしないわけで、意図的であろうとなかろうと残っていないものはなかったものとして扱われてしまうわけです。
この過去の矮小化の象徴であるのが犬王であり、実在していたことはわかっていても中身は残っていないものもいるのだということを表しているわけです。彼が異形の姿だというのも合点がいきますよね。そんな姿をした人が残るはずもないでしょうから。
そもそも我々の思い描く室町像というものは本当はもっと自由なものだったのかもしれない。能の元である猿楽ってのはそもそももっと自由だったようですし、別にエレキギターやイルミネーションなんかがあったかもしれないとは言わないですよ。でもなかったとも言い切れない。もしかしたら足利義満のように情報操作されただけなのかもしれない。歴史の修正がなされて埋もれてしまったのかもそれない。
そう考えると本作の描こうとしているテーマって、歴史に埋もれていった人を考えるという非常に深みのあるテーマであると言えるし、何ならこれは現在にも通底する普遍的なテーマでもあるんですよね。 だからそれを知った上で見ると個人的にはもの凄く見方が変わりました。やっぱり後半のミュージカルシーンの連発は好みはしませんが、それ自体の必然性は理解できましたし、歌詞の字幕をつけて見たのも大きかったかもしれません。
ただ、一番変化として大きかったのはラストの鑑賞後感が大きく変わったところですかね。 具体的には犬王と友魚の関係ですね。 犬王は友魚のために語ることをやめ、また友魚は犬王のために語り続けようとした。出会いの惹かれ合う運命性は初めから理解できましたが、やはりそれとて2人が存在を証明し合おうとしたが故の関係であることは改めて見直したからこそわかりましたし、ラストの2人の絆に関しても理解できるようになったのがよかったです。
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