[コメント] わたしは最悪。(2021/ノルウェー=仏=スウェーデン=デンマーク)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「名前は言わないで。SNSで検索しちゃうから」
SNSの時代であり、何でも検索できる時代です。しかしこの映画は殊更スマホをいじる様な描写はせず、父親が記事を読めない(リンクをクリックできない)という父親の話で、逆に「使えない側」を描写します。もちろん、父親との「距離」の描写でもありますけど。
また、臨終間際の元カレが、レコードや本に対する「体験」、ある意味、自己を形成した「体験」を語ります。これは、彼の現世への固執であると同時に、今が「体験の無い時代」であることを逆説的に表現しています。
この映画は、「何者かになりたい自分」「自分探し」の物語です。しかし、必ずしも両者はイコールではありません。なぜなら私なんかの世代には「自分探し」なんて言葉はなかったから。そんなものはモラトリアムの青年期で終了するのが当たり前でした。しかし、「何者かになりたい」というのは普遍的です。オジサンの多くが「肩書」に固執する理由はこれです。つまり、オジサンの住む世界(そのほとんどが会社等の組織)で「自分が何者であるか」を表現し、自己確認できるのが「肩書」だからです。オジサンとはなんと不幸な生き物でしょう。ところがオジサンたちの幸運は、その住む世界が狭かったことです。
今時の若者、つまり「ネットで何でも検索できるSNS時代」を生きる者たちは、世界中の「何者か」を簡単に知ることができる。いや、「知ってしまう」と言った方が正しいかもしれません。世界中の成功者を目の当たりにし、「自分もこうなりたい」「何者かにならなければならない」という目に見えないプレッシャーになっていく。
この映画は、「何者かになりたいわたし」の物語ではなく、「何者かにならなければいけないプレッシャーに晒されている若者」の物語なのです。
彼氏が元カノのセクシーヨガSNSをフォローしたままだというクダリがあります。元カノに対する嫉妬もありますが、少なくとも元カノは(セクシーさを道具に使用していたとしても)3万人ものフォロワーを有する「何者か」なのです。主人公の嫉妬は、この両方に起因するように思うのです。
そしてこの映画は、「何者かにならなければいけないプレッシャー」「若者特有の漠然とした不安感」を画面で描写します。街並みを見下ろすような背景の前に佇む主人公の姿。映画冒頭もそうですし、帰り道で夕日を見ながら涙を流すシーンもそうです。
もしかすると、男女間の差もあるかもしれません。エピローグで、「子供は欲しくない」と言っていたはずの元カレの幸せそうな家族を偶然見かけますが、必ずしも元カレだけを見ているわけではないと思うんです。相手の女性を見て、「もしかすると自分が進んだ道だったかもしれない」と思ったのではないでしょうか。
こうした普遍的な「何者かになりたい」物語は、多くの(特に女性の)共感を呼ぶことでしょう。しかし私くらいのオジサン、もとい、ナイスミドルになると、「分かる」けど「共感」はしないんですよ。もはや「何者かになりたい」なんて欲はないから。ただ、キャバ嬢にはモテたいと思ってますけどね(<おまえは最悪。)
(2022.08.01 新宿シネマカリテにて鑑賞)
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