[コメント] 夜、鳥たちが啼く(2022/日)
二人が何を思い、どう考えているのかいっこうに判然としない。映画はひたすら「もどかしさ」に支配され続ける。無理もない、これは内側(自分)と外側(他者)の折り合いが付けられなくなった男と女の話しなのだから。
そんな難役に挑む山田裕貴と松本まりかを、城定秀夫は二人の半同居空間の物理的な内側と外側の境界を曖昧にすることで援護する。
裕子(松本)親子が借りる前時代的で貧相な平屋の母屋。慎一(山田)がこもる隣のプレハブはもっとぶっきらぼうだ。その緩い構えの住居は、まるで空き地のように飾り気のない庭のなかに並ぶ。屋内と屋外を仕切る壁や扉は薄っぺらそうで、無造作に開け閉めされる窓やカーテンは内と外を唐突に繋ぎ、また遮断する。カメラは、あるときは窓越しに見えていた人物が薄っぺらい扉を開き屋内へ上がり混んでくる一連のさまをワンショットで捉え、あるときは帰宅して母屋へ入り室内からカーテンを閉じる女と、プレハブに戻ってカーテンを開く男を同時に捉える。
そんな内と外をシームレスにとらえる演出が多様され、内側(自分)と外側(他者)の折り合いがつけられない男と女の「もどかし」さを象徴して映画的興奮を静かに掻き立てる。
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