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[コメント] ぼくどうして涙がでるの(1965/日)

題名通りの泣かせだが、撮影美術がドライで湿気を吹き飛ばす。日活最盛期のモノクロの切れ味はここでも素晴らしい。映画化は十朱幸代の希望で彼女の映画初主演、心臓病の啓発に力のあった作品の由。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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棒倒しで少年(日下部聖悦)が転倒する冒頭から素晴らしい。少年は中盤過ぎまで登場しない。まるで紀子(十朱幸代)を励ますために再登場するかのようだ。「一緒に手術できるといいね」。

望遠、変わったアングル、手持ちブレ、逆光、影の強調、手術は心臓ほか実際の手術映像、これらを駆使して厭味にしていない。撮影は萩原憲治。前年には類作の『愛と死をみつめて』を撮っているが、印象は蔵原惟繕の『愛と死の記録』が近い。

紀子入院は半年待ち、ベッド1台に10人予約が現状、手術成功は五分五分と云われ、これを紀子は気にし続ける。心臓手術の歴史はまだ15年、巡回する医師の北竜二を難詰し、看護師の西尾三枝子に諭される。

手術で泣いたら助からない。この病室のジンクスとは恐ろしいようなものだった。近代病院でなぜそんなものが禁止もされず語り継がれるのか。少年が手術前に涙を流すのはタイトルで明らかであり、観客はこの賢そうな少年との別れを惜しむ時間をたっぷりと与えられたのだった。「死んだら解剖されるの」という幼い悩みが切なく、遺体搬出のスロープが忘れ難い。病院とはああいう構造をしている。私の父が死んだときも、あんなコンクリの無骨な裏道から搬出されたものだった。

ただ、ラストで退院を喜ぶ紀子の件は、少年の死と時間が近すぎた憾みがあった。二種類の感慨を並べるのは無理筋だったかも知れない。一緒に退院した山本陽子は可愛い盛り。紀子の兄の佐藤英夫は出版業で自宅のそこら中に返品の本が積んであるのが面白かった。原作者の生活通りだろうか。兄嫁の柳川慶子が別嬪。病気になった紀子と別れる藤竜也は辛い役。 そういえば、もうひとつジンクスがあった。老母の村瀬幸子が紀子の入院にあたって下駄を準備し「下駄を持たせないと帰ってこれない」。紀子あての封書(兄の新聞への投書の返事が大量に届いている)には、番茶に醤油入れて呑むと心臓の痛みが楽になる、というものがあった。

紀子が抜けだした歌声喫茶には、壁に定番曲の歌詞が書かれた紙が貼られていた。東京女子医大病院は昔から新宿区河田町にあり、印象的なビールの電光看板は新宿か、四ツ谷か。

(評価:★4)

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