[コメント] ゴースト ニューヨークの幻(1990/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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映画内のサムを自分に置き換えて考えると物凄く辛く苦しくて悔しいから自分なら「死」の上塗りを選んでしまう、と思う。
恐らく、脚本を書いた人も同じように耐えられなかったに違いないし、愛している人(恋人、家族、友人、可愛がっていた猫や犬など)が危機に陥るところを見て見過ごすことなんか出来ないから、サムに特別な運と能力を与えることにした神の手は……いただけないです。
ドアなどをすり抜けられるのは幽霊だから分かる。ソファには座れるわ階段に登れるのは許そう、でも、悪人を両手で突き飛ばせるわ、コインは持ち上がるわ、糞重いパイプの足場を思いっきり倒すのは変じゃないかな。
途中でサムが引き起こすポルターガイスト現象を入れることによって、その疑惑を解消しているんだろうけど全く腑に落ちないです。じゃあ、そこまで出来るんならモリーを抱いてやるシーンを挿入してやれよと思うのが自然なはずなのに、オダ・メイとラブラブを持ってくるセンスはダサイと言えるし、せっかくのムードがぶち壊れるだけなので残念だった。
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個人的には、この映画の設定や展開も別に悪くはないんだけど、自分なら、主人公の霊が一切この世に関わることが出来ないようにして、愛とは何か死とは何かを問える映画にしたいと思う。残された彼女は幾多の困難を大きく傷つきながらも乗り越え、女性として人間として逞しくなって自立し、新しい彼氏を迎え、真の幸せをつかむ。そしてサムはそれを時にはハラハラしながら見守り見届け、光の筋に能動的に登っていく演出を選ぶと思う。
死んでから学べることもあるだろうし、死んでから悟ることもあるだろうし、何も自分が全てを救わなくてもいいのではないだろうかと思った。比較的簡単に、人間の強さや弱さの表現を繊細に描くことが出来る題材だけに、選んだ道を誤ってしまった感のある監督のマッチョな頭脳に私は(デミ・ムーアみたいに可愛く)泣きたいです。
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ですが、いつも恋愛真っ最中の私はラストのキスシーンで泣きました。たとえ恋愛中でなくても愛する人達との別れるシーンを見ると、涙無くして見ることは出来ないでしょう。さらに、最高に綺麗なデミムーアの可憐な涙に胸打たれたので3点です。
2003/8/25
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