[コメント] 家からの手紙(1976/ベルギー=仏)
観終わってはたと困った。冒頭から60分は続く偏執的な固定ショットの長回しに正直辟易した。この確信犯的退屈さを最後まで貫くのかと思っていたら、終盤に命が吹き返したように単調ではあるが徐々にカメラが動き出し、予想を覆す終幕に私は猛烈に感動してしまったのです。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ラストシーンは、揺れながら狭い空間を壁にそって視線が移動するショットで始まる。船からの見た目ショットだとわかる。狭い空間は運河の河口で無骨な壁は運河の人工壁だ。やがて船は河口を抜けて視界が一気に広がり海に出る。カラーだった画面はいつしか霧に包まれ無彩色の世界に変わり、船を追って海鳥が舞う。背景のマンハッタンのビル群は、その色のない世界の奥へ奥へ遠ざかっていく。旅立ちを暗示するラストーシンの美しさに驚愕し、私は激しく心を打たれた。
あの冒頭から続いた確信犯的な画面時間の「停滞」は、このラストシーンの美しさと開放感のための意図的に仕掛けた「停滞」だったのだろうか。いったいシャンタル・アケルマンにとっての映画の長さ、すなわちカットの長さ、すなわち表現に要する「時間」とは、何なんだろう、と考え込んでしまった。あの長すぎる「時間」は彼女の生理に由来するものなのだろうか。それとも周到かつ戦略的に準備した意図した仕掛けなのだろうか。難しすぎて私に分かるはずもないのです。だがら困ってしまったのです。
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