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[コメント] 眼には眼を(1957/仏=伊)

アルジェリア戦争中の作品で、作者の姿勢は真摯なものがあるが、それでもエドワード・サイード以前の旧弊なオリエンタリズム観に毒されているように見える。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
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序中盤がとてもいい。凡百のカフカ原作映画よりずっとカフカを想起させるものがある。このシリアの光景がプラハのユダヤ人街と類縁性が高いからに違いない。自ら命じた車両移動に出くわす件、モスク侵入の件、翌朝に態度を一変させる妻の妹、村で治療を拒まれる件(「田舎医者」が思い出される)、そして何より、通じない言葉。集合住宅の片隅で操られている旋盤機や、谷を渡すゴンドラなど、カフカっぽい変な機械も不条理感をいや増しに増している。文明が衝突するときに必ず表面化するリアリティ(あるいはリアリティの欠如)が感じられる。

しかし、ゴンドラを降りて砂漠の放浪が始まってからは意外にも退屈した。せっかくのロケーションなのに撮影に迫力がない。動物の死体もセコい。商人が医師に切られた後、医師を助けようとするのもよく判らない(別の医者に治療して貰えばいい)。それに何より、商人の私怨晴らしという処に話が収斂するのが小さい。これを科白で告げるのにはガッカリした。

医師が過疎の村へ医療に向かう動機はリアルでいい。罪悪感は人を動かすものだ。微妙なのはタイヤを盗む他の村人の対応で、商人が仕組んだのかそうでないのか語らずに済まされる。医師への理不尽な罰が浮かび上がっている。文明の境界で常識は通用しなくなるのが説得的だ。しかし、終盤の商人の告白はこれと矛盾するものだ。蛇足の感が強い。これさえなければ5点つけてもいい作品なのに。

医者のクルト・ユルゲンスの造形は、冒頭の手術後の時間を競う発言や自家用車から駱駝商人にクラクションをしつこく鳴らし続ける件など、細かな描写で仕方のない支配者層だと何度も示しており、一方復讐者の商人フォルコ・ルリの造形は同情的だ。本作制作当時、シリアはフランスから独立しているが、アルジェリア戦争の真っただ中であり(1954〜62)、舞台はアルジェの隠喩と見るべきなのかも知れない。当時の進歩的知識人である監督が公平を尽くそうとしているのは判る。しかし限界を感じる。

このような復讐をシリア人全員が行う訳はなく、あの商人の個人的な行動に他ならない。だから小さい。それともシリア人は潜在的に復讐をしたがる連中だと云うのだろうか。それは文明の境界ではなく、安定した差別的見地から発せられる偏見に過ぎない。「眼には眼を」というハンムラビ法典の「原理」について、どこまで作者が熟知して本作をつくっているのか心許ない。

(評価:★4)

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