[コメント] 霧の波止場(1938/仏)
最初に主要人物と彼らの登場までのプロット構成を整理しよう。冒頭は主人公で植民地部隊の兵隊−ジャン・ギャバン−ジャンが、ル・アーブル港へ向かうシーケンス。トラックに乗せてもらったことで、ラストカットまで画面に居続ける可愛い犬と出会う。次に、ギャバンはほったらかして、港町のバー「リトルジョーカー」のシーンに。こゝで、ピエール・ブラッスール−リュシアンと、ミッシェル・シモン−ザベルを登場させ、この2人の反目を印象付ける。その後、シモンがこの店を出て、通りを歩くシーンでギャバンとすれ違わせて、またギャバンのパートとなる。これが、パナマ亭という酒場を舞台とするシーケンスだ。パナマ亭に連れて行くのがレイモン・エイムス−ヴィッテル。亭の主人はエドゥアール・デルモン。客として現れる絵描きミシェルがロベール・ル・ヴィギャン。そして、食堂で振り返って登場するヒロイン−ビニールのレインコートをまとったミシェル・モルガン−ネリ。
本作の肝は、何と云ってもこのパナマ亭のシーケンスだろう。まずは、霧の港(というか浜辺)にポツンと一軒家のように立っている外観ショットから実にいい。屋内シーンでも霧が流れ込んでいるかのようなルックを継続する。こゝで交わされる、会話場面の切り返しショットも、ずっとハッとさせられるものだ。「あゝオイゲン・シュフタン!」と何度も心の中で呟きながら見た。18歳のモルガンの鮮烈な振り返りショット。ブラッスールに撃たれた手を洗うシモンからカメラが移動して窓の外の海を見るギャバンとモルガンに寄り、続いて屋内でゆっくりトラックバックするショットに繋ぐカッティングにも陶然となる。
では、プロット構成の過不足について。実はこんな風にあげつらう必要もない、本作の魅力を損なうようなレベルではない、とも思うのだが、一応例を上げておきます。一つは、序盤から科白で出てくるモーリスという人物の扱いだ。モルガンの元カレで行方不明になっており、ブラッスールも居場所を捜している人物。これがもう少しキャラが立ち上がって来る描き方であれば、というのは無い物ねだりか。次に、パナマ亭でギャバンに服と靴をくれると云う絵描きミシェルの造型で、この人も魅力的な人物だと思うのだが、その扱いは中途半端というか、あっけなさ過ぎる。逆に、パナマ亭にギャバンを連れて行った、ヴィッテルの動向が、終盤迄ちょこちょこと挿入され、ラストシーンの途中にもこれがある、という扱いも疑問に思う。あと、実をいうと、シモンについても私には違和感があった。もっともっとパラノイアックな演技でも良かったんじゃないだろうか。
なんか難点みたいなことを多く書いてしまったが、しかし、画面は一級品だ。2回あるギャバンがブラッスールをビンタするシーンの演出(ブラッスールが涙目になる)、ギャバンと船医の会話シーンにおける、横移動して同一ショット内で、ショット/リバースショットみたいに見せるカメラワーク、あるいは、それこそ愛らしい犬の扱いなど含めて、魅力的な細部は沢山ある。
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