[コメント] 市子(2023/日)
社会と実在と自我。例えば社会から疎外されてしまった者でも自我を持ったカタチ(姿)としてとりあえず社会に実在できる。だが、あなたは実存しないとされてしまった者のカタチ(姿)は社会から消失してしまい、存在したいという自我の欲望だけが実在することになる。
ではカタチ(姿)を持たない自我がカタチを求めて社会のなかで暴走したとき、つまり社会に存在しないはずの個人の行為を、社会性の欠落を理由にして責めることが出来るのだろうか。そんことを考えた。
思わせぶりな芝居をするでもなく、そのたたずまいだけで「実在することの闇」を感じさせてしまう杉咲花のカタチ(姿)が、市子の悲しみと恐ろしさが作り出した仮面を体現して社会の危うさを暴き出す。
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