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[コメント] それでも私は生きていく(2022/仏=英=独)

道を歩いて来るサンドラ−レア・セドゥ。カメラを通り過ぎて右に曲がるのをパンして見せる。建物の中に入り、ドアの前で部屋の中の人とのやりとり。すぐにドアを開けられないよう。お父さん−パスカル・グレゴリーが出てくる。
ゑぎ

 お父さんは目が悪いのだ。お母さんはニコール・ガルシア。でもお父さんとお母さんは、かなり前に離婚していて、お父さんは一人暮らし。ガルシアは、私生活でもこんなんだろうと思わせる強い女性を演じている。セドゥは夫とは死別しているのだが娘のリンがいる。

 本作は、主人公サンドラ−セドゥと目の不自由なお父さんとの関係と共に、亡き夫の友人だったクレマン−メルヴィル・プポーとの恋愛関係を多分同等の比率ぐらいで描いた映画だ。お父さんは、もう一人では暮らせない状況なので、冒頭の自宅を離れて、病院や介護施設を4か所出ぐらい渡り歩くことになる。一方、クレマン−プポーとは、偶然の再会シーンから、初めてのキスを経て、セドゥの家で同居したり出て行ったり、また同居したりを繰り返す。プポーには妻子がいるのだ。

 初めてのキスのシーン。私には明らかにセドゥから近づいたと思ったが、後のシーンでプポーがそう指摘しても、そんなことない、なんて厚かましい、とセドゥが云うのは面白い。また、プポーが初めてセドゥのアパートに泊った場面の見せ方も実にいい。朝、娘のリンがママ−セドゥのベッドに潜り込むと、プポーがいる、という場面なのだが、リンが全然驚くこともなく、普通に会話するという大らかさ。あゝフランス映画だ、と思ってしまう。

 あと、セドゥのお母さん−ガルシアや姉(?)の子供たちも集まったクリスマスパーティの場面も素晴らしい。娘のリンたちへプレゼントを渡す際の描写が面白いのだ。サンタクロースの実在に関する見せ方なのだが、日本人でこんなやり方をする親は無いだろうという芝居がかったものだ。

 全体に、ほゞセドゥ一人にカメラが寄り添い、奇をてらわずに素直に素直に撮った演出は、とても好感が持てるものだ。そんな中で、彼女の夢に出て来るヒョウアザラシの画面造型(二重露光)は特筆すべき凝ったものだろう。あともう一つ上げるとすると、ラストカットのストップモーションか。私はストップモーション嫌いなので、こんなことする必要ないのに、と思ってしまうが、邦題の雰囲気は醸し出しているラストシーンだとは思う。

 尚、原題は「ある晴れた朝」というもので、これはお父さんが準備していた自伝のタイトルだ。お父さんに関するプロットは割愛するが、ラストのお父さんとセドゥとの描写も、邦題を付けた人の感情を導いたものだと私は思う。

(評価:★3)

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