[コメント] デューン 砂の惑星PART2(2024/米)
開巻の時間軸は前作のすぐ後、ということだろうか。母親のレベッカ・ファーガソンだけでなく、バビエル・バルデムらフレメン族も一緒にいる。この冒頭から胎児(シャラメの妹)の映像が度々挿入されるが、ファーガソンもシャラメもこの胎児の意思を再三おもんぱかるのは、私には不思議なのと同時に鬱陶しくも感じた(このあたりはパート3への伏線なのでしょう)。「つかみ」ということでは、何と云っても、ハルコンネンの追手たちが空中を降下してくるショット、あるいは逆に、崖上にゆっくりと上昇する、浮遊感のあるショットにはゾクゾクさせられた。この緩やかさがいい。前作では、ファーガソンの能力、その発揮の不意打ちにも面白さを感じたが、本作中、彼女のアクションシーンが冒頭しかない、というのはちょっと残念にも思う。
本作の良い点として強調しておきたいのは、サンドワームがらみの描き方で、一つは、彼ら(と云っていいのか分からないが)を呼び寄せるために、砂漠に振動を伝える、サンパーという装置の面白さ。これが何度も出て来る。もう一つは、サンドワーム・サーフィンとでも云いたくなる、彼らを乗りこなす場面の画面造型だ。こゝは素直に最もスペクタキュラーな画面になっていると感じた。多分、乗りこなすまでに、何度も失敗する経験をしているはずだが、それが割愛されるのも良しとしよう。ただし、全編通じて、サンドワームがその禍々しさよりも、単なる「乗り物」として描かれる弊はあるだろう。例えば「王蟲」と比べたときの存在感のありようには、歴然たる差を感じる。
こゝからは苦言のようなものばかりを並べることになり恐縮だが、まず、音響、特に重低音による、こけ威し演出は前作同様で、これが無いと凡庸なショットに過ぎない場面が多々あると感じた。似たような演出として、2人の教母の恫喝みたいな命令時のエフェクトもイヤ。また、屋内と屋外のルックの違いはワザとだろうが、あざといと思う。屋外の白っぽい画面。ハルコンネン男爵−白塗りのステラン・スカルスガルドのシーンのモノトーン(というか、もうモノクロ)のルックも極端過ぎないか。ついでに云うと、大群衆のCGも安っぽい。ヒトラーやスターリンの登場する『独裁者たちのとき』を思い起こしたりもしたが、あの映画と違い、群衆の顔は小さ過ぎて見えない。
俳優についてもう少し書いておくと、ヒロインのゼンデイヤ−チャニは、今回は流石によく目立っている。もっとも、あんまり可愛いと思えないが、気の強さが良いと思う。ただ、シャラメとゼンデイヤのキスシーンの移動のカメラワークは通俗的だと思った。悪役は、ハルコンネン男爵の甥−怒鳴ってばかりの、白塗りのデイヴ・バウティスタに、弟がいたということで、やっぱり白塗りのオースティン・バトラーが登場し、これがなかなか強くて怖い造型だ。彼にからむレア・セドゥは本作では端役に過ぎず、とても勿体ないと思わせるけれど、彼女もパート3への伏線要員なのだろう。また、教母−シャーロット・ランプリングが出番は少ないが、要所で場面を引き締める。ラスト近くで心の声対決の見せ場が用意されているなんてところは肌理細かくていい。
あと、全般に美術装置の見せ方については、前作のような驚きを感じられなかった。それは既視感による昂奮の減衰以上に、撮影や編集の差異が大きいと思う。今回は緩慢さによる重厚感よりも、スピードを優先させているのだ。そういう意味で、本作の方が、一般的なアクション映画として面白いのかも知れないが、私の好みは前作の方だ。それに、せめて、核弾頭の使用の場面では、もっと圧倒的なスペクタクルで、未曾有の惨劇として描くべきではないだろうか。また、作劇の深みに関わる部分として、シャラメの夢の扱いも前作の方が面白かったと思う。
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