[コメント] 真実一路(1954/日)
本作の主人公はヨシオ。一緒に登校する友達は悪友だ。お金持ちで軍人(将校)の息子。この子の存在面白い。後の場面で、校長室の窓ガラスに石を投げるようヨシオに云ったりする。東北の飢饉の寄付金を忘れたと家に取りに帰るヨシオ。お姉さんは桂木洋子で、お父さんは山村聡。山村は喘息持ちか、咳き込んでいる。母親はいない。寄付金は、十銭持たされる。学校の担任の先生は佐田啓二。寄付金の額は二十銭の子供が多く、ヨシオは自分の小遣いで二十銭にし、袋に「二」を書き足す。一方、十銭無くなった、と云う子がいて、佐田先生は、ヨシオが盗んだ可能性を考える。母がいない家庭環境に問題があるのかもしれないと。
その日、桂木は見合い。相手は三島耕で、父親の山村も一緒に歌舞伎観劇。三島は好青年で、当人同士はお互いに気に入り、ほゞ結婚が決まったという状況になる。日を置いて、四ツ谷のお祖母さん−毛利菊枝のところへ、ヨシオと一緒に報告へ行く。毛利は母方の祖母にあたる。姉弟が毛利の部屋にいる時、別の部屋で、伯父さんの市川小太夫と揉めている女性がいる。勘当した者が来るな、みたいな科白。女性の顔は映らない。ただし、声で淡島千景だと観客には分かる。桂木は思わず、お母さん、と云ってしまう。それを聞いているヨシオ。これを契機に「死んだことにされている母親」モチーフが駆動する。ヨシオが学校で十銭盗んだのではないか、という疑いが山村や桂木に伝わって、問いただされた際、「嘘ついてるのはそっちじゃないか」みたいなヨシオの科白。でも、山村は、やっぱり母親のことを伝えない方がいいと桂木に云う。
淡島の登場は、桂木が本郷の絵描きの叔父さん−多々良純と一緒にカフェを訪ねる場面。カフェのマダムが淡島だ。淡島のそっけない登場カットがいい。ヨシオのために戻る意志がないか確認するが、そんな気はない、愛人の元を離れないと云う。情夫は熱の出ない電球を研究しているらしいが留守。この映画、重要人物を簡単には見せない。
そして、帰宅すると、山村が怒っている。桂木の見合い相手が断って来たと云うのだ。お前には何も落ち度はない。何か隠してるんでしょう。何も隠してない。というやりとり。と云った経緯を見せておいて、ある意味、本作の演出的な一番の見せ場だろう、湯島天神での、桂木の出生の秘密を話す多々良のシーンになる。彼のフラッシュバックの途中で、淡島のフラッシュバックも挿入され、2人の交互の回想を繋ぐという処理だ。しかし、内容はメロドラマもいいところだが、雪の積もった病院に入って行く淡島のシーンはいい。また、本作の多々良はとても良い役だ。
さて、こゝいらで、梗概に触れるのは止そうと思いますが、淡島の情人は須賀不二男がやっており、全く唐突に、磯釣りのシーン(葉山の長者ヶ崎の場面)で、ヨシオと須賀が仲良くしているショットが繋がれる、というのは川島らしい繋ぎだろう。さらに、そこに淡島がやって来て、母子が対面するという世間は狭い攻撃なのだ(ヨシオには母だと分かっていないが)。あと、淡島の元を去る須賀の場面が、こゝだけ、すごい斜め構図ということや、終盤の墓地の長い道を桂木と多々良が歩くショットなんかは、明記しておくべきだと思う。延々と後退移動でとらえた長回し。上に書いた2人のフラッシュバックの交錯と共に、この墓地のショットが一番の見せ場かと思える演出だ。本来、ヨシオが主人公と云っていいお話だろうが、淡島と共に、桂木の出番も多く、二人の存在感は甲乙つけがたい。140分を超える長尺でも、ダイジェスト版のように思えるプロット展開だが、川島の演出には、随所で見どころがある。
#備忘でその他の配役等を記述します。
伯父さんの市川小太夫の妻役は水木涼子。桂木の見合いの返事を持って来るおばさん(仲人?)は吉川満子。佐田と同僚の先生に高友子がいる。
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