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[コメント] 若き見知らぬ者たち(2024/日=仏=韓国=香港)

主人公(磯村勇斗)の孤立を描くにあたって内山拓也監督は、個人と社会システムとの関りを(意図的なのか成り行きなのか)完全に切断してしまう。これでは弱者を描くための“弱者利用”に見えてしまうかもしれない。この企みは好嫌/賛否が分かれるだろう。
ぽんしゅう

例えば主人公のリアリティに欠けた母親(霧島れいか)に対する処遇は社会通念からすれば受け入れがたいし、たとえ物語演出のための確信犯だとしても好悪が分かれるだろう。この若者は自ら地獄を選択しているように見えるのだ。

2024年の同時期に公開され、本作の対極に位置する二本の映画が頭に浮かんだ。

一本は、図らずも人と違う境遇を抱えた若者が、情緒に流されず社会でのマイノリティの位置づけを丁寧に拾うことで光明を見ようとした呉美保の『ぼくが生きてる、ふたつの世界』。あるいは、社会が内包している暴力性の理不尽さの象徴として、銃弾が持つ破壊力という価値(負の重さ)との距離の取り方において黒沢清の『Cioud クラウド』の対極に位置しているとも言える。

この2本の作品に比べて本作は、商業映画でありながら観客にまったく媚びない。それはもどかしさでもあるのだが本作の凄みでもある。あえてリアルさを排除して社会とのつながりを断つことで、個人と社会システムの齟齬を強調し“弱者利用”と批判されることを恐れずに、絶望的な“孤立”を描いてしまう。この内山拓也監督の意固地さを私は支持したいです。

たとえ意欲過剰の意欲作だとしても。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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