[コメント] SUPER HAPPY FOREVER(2024/日=仏)
深い悲しみを描て“思い出”という光明で映画は幕を閉じる。失くした「赤い帽子」は自分の前から姿を消しただけで、世の中のどこかに存在するはずだという思い。失くした(亡くした)からこそ思い出になるのだという残酷だが受け入れざるを得ない人としての運命。
前半と後半で時の扉をくぐり抜けるようにするりと物語の時制が入れ替わる。そして今起きている事象(現実)が、5年前に起きた時(とき)の流れのなかに、さりげなくかつ理詰めで結びつけられ、今もどこかにあるかも知れない“幸福な時(とき)”が立ち表れる。五十嵐耕平監督の計算づくの仕掛けが、物語を支配する感情を負から正へと逆転させてしまうのだ。不思議な、良い意味で騙されたような幸福感で映画は幕を閉じる。
途中で明かされる「SUPER HAPPY FOREVER」の由来に思わず苦笑いするも、その能天気なフレーズの裏返しとして、人が人生において図らずも抱え込んでしまう悩みや悲しみの深さに思い至る。
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