[コメント] 主婦マリーがしたこと(1988/仏)
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それが振り下ろされる対象が、普通の主婦であることをして、基本的に弱いものを犠牲にして維持されていく国家というものの体質が浮き彫りになる。
深い考えは何もなくやったのに、堕胎がうまくいってしまったことが災いした。噂を聞きつけて、続々と堕胎を希望する人たちが訪れる状況にも、胸がしめつけらる。やめるチャンスはあったが、振り返らなかった。マリーを訪ねてきて彼女をなじった、失敗して死んでしまった女性の身内のような人たちが、マリーを糾弾する道具のひとつとしておそらく政府に利用されるのだろう。同性にさえ、こうした非難を浴びながらマリーは死んでいくのだ。
かたくなに夫を拒否しながらも、若い男と遊ぶマリーは、お互い自分であることにだけしか責任を負わない関係に、ある種の安らぎを見つけていたかもしれない。夫は、貼り絵にやすらぎを見出そうとし、そこまで邪険にされても、マリーのそばにいる姿には同情する。得意の貼り絵で、とんでもなく大きな仕事を成し遂げてしまうのだが。そして、子どもたちの心の傷は一生癒えることはないだろう。
戦時下のフランスは内乱状態だった。愛国的反ナチ・レジスタンスはもちろん、反政府運動、労働運動、あらゆる大衆運動が、疲れきったフランス政府を揺るがす爆発をおこしていた。政府として、戦後の国家的秩序を保つためには、徹底的に反政府的勢力を叩いておかなければならない状況だったと思う。
マリーの処刑はそんななかで執行された。民衆を震え上がらせる鞭として。しかも、もともと鞭だけでは統治できないことを充分知っているからこそ、戦後も、政府は社会民主主義という飴をふんだんにからめた統治形態をとってきた。死刑廃止という大きな譲歩さえあった。そして、大戦後から今日まで、そのシステムは、ほぼうまく機能した。
しかし、みたびの戦争の時代に突入した今日では、”テロ撲滅”という名を借りて、民衆を監視する戦時治安維持体制が徐々に確立されつつある。罪状は何であれ、第二のマリーが見せしめに殺されるのは、それほど意外なことではないのでは。そして、その人は自分の知り合いかもしれない。
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