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[コメント] 女であること(1958/日)

エレガントな豚久我美子とともに成瀬の世界に闖入した川島映画。嫉妬の交錯のなか、ほとんど何もしない中北千枝子が不気味。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







久我のあっちに付きこっちに付き転々とする様は太刀川洋一とのダンスシーンにおける会話で自覚的なものと示され、太刀川から「君は何を云っているのか判っているのか」と呆れられることになるのだが、この無茶苦茶な心理状態、非常によく判るのである。子供とは、小学校の人間関係とは、一般にああいうものではないだろうか。

特に原節子への秋波は子供っぽくも艶めかしく、生理だから訪問を遅らせたとはいかにも川端好みの科白だが、映画でじかに喋られると衝撃がある。原も適役であり、お愛想笑いの社交性が嫉妬で崩れてゆき、最後には元の社交性に戻る呼吸を丁寧に演じて説得力があった。

ラストの豪雨のなか別れを告げる久我に「新しいレインコートを着てみたかったのね」と笑わせる原は、社交的なアメリカンジョークの裏に皮肉の刃をちらりと見せて、最後まで怖い。ただ、「自分探し」に出かける回心した久我を作者は暖かく肯定しているが、現代の視点からは物足りない。冒頭の反復で、久我を自転車に乗せて走り去らせれば、このエレガントな豚を巡る物語の収束に相応しかったのにと残念に思う。

(評価:★4)

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