[コメント] トキワ荘の青春(1996/日)
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デジタルリマスター版を2021年に鑑賞。公開当時以来25年ぶりの再鑑賞。 まず役者たちに時の流れを感じます。 今でこそ生瀬だ古田新太だ阿部サダヲだと思うけど、当時は無名。桃井かおりや時任三郎は別として、漫画家仲間で一番有名な出演者は柳ユーレイだったんじゃない?きたろうは当時どうだったかな?
要するに、駆け出しの漫画家を駆け出しの役者に演じさせたわけです。それもある意味リアル。
映画はしばしば(おそらく冒頭2カット目から)トキワ荘の廊下を写します。 共同住宅を端的に表現していると同時に、ある種特別な異空間にも見えます。 実際、市川準が何かのインタビューで「小宇宙」と称していたようですが、ここは特殊空間だったのです。 名だたる漫画家を輩出した特殊空間。世の中を変えるマンガを生み出した小宇宙。 映画は雨や風(の音)が多い印象ですが、そんな戸外の状況からも隔絶された空間に感じられます。
時代設定は1956年(昭和31年)頃。敗戦後約10年。「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言した時代。 何度も挿入されるセピア色の風俗写真は、ノスタルジーのためではなく、復興から成長へと転じる時代を切り取りたかったのでしょう。 その「時代の切り取り」の一つがこのトキワ荘。 この映画自体のテーマが「時の流れ」だったのです。 そういえば、市川準は『会社物語』(88年)でも「今の日本は俺たちが作ったんだ!」と植木等に言わせていましたな。素敵なダブルミーニング。
しかし私が興味深く観たのはむしろファーストカット。まさかの「布団を畳むモッくん」。
まず「モッくん=寺田ヒロオが主人公ですよ」宣言だと思うんです。 つまりこの映画の主役は、トキワ荘でも若き日の有名漫画家(のエピソード)でもない。 正直、私はこの漫画家を知らないのですが、トキワ荘の兄貴格だったそうですし、やがて時代に取り残されていったのも事実のようです。
また、布団を畳む姿で、後々台詞でも「真面目なんだよなあ」と称される彼の几帳面な性格を表現しています。
我々観客はこの手の話に対して、著名人の「若き日の苦労話」や「成長譚」を求めがちですが、そうではないことをこのファーストショットは表現していたのです。 主人公は真面目すぎて時代から取り残される男。言い換えれば、トキワ荘「光と影」の「影」。
さらに言うと、後にモッくんは布団を畳むばかりか、廊下も掃除します。料理も作りますし、ちゃんと食卓で食事をします。売れっ子になった他の漫画家達は殺人的なスケジュールの中、万年床で仮眠をとり、描きながら飯を食う。 実はこのトキワ荘の中で、モッくんだけが人間らしい「生活」をしていることに気付きます。
さて、これを踏まえた上で、この映画の時代背景に立ち戻ってみましょう。
敗戦後約10年を経て、復興から成長へ向かう「もはや戦後ではない」時代。 そう、植木等が言う「俺たちが日本を作った」高度経済成長期へ向かう時代です。 人々は、寝食を忘れ、人間らしい「生活」を忘れて、成功(成長)へ立ち向かいます。 売れっ子漫画家達はその象徴です。
一方、この映画が作られたのは96年。バブル景気崩壊直後です。 誰もが成功(成長)を夢見て、本来あるべき人間らしい「生活」を忘れた狂乱の夢の後。 光と影の「影」の時代に差し掛かった時期。映画では、成功(成長)の波に乗れず、転向したり筆を折ったりする者も描かれます。
唯一、人間らしい生活を送っていたモッくんは言います。「僕(の漫画)は古いんですよ」。
市川準はこの映画で「時の流れ」をテーマに据え、40年前の青春群像の中に(当時の)リアルを内包させていたような気がします。
余談
どーでもいい話ですが、若き日の己の愚かさにも時の流れを感じています。 96年当時、シネスケにコメントを書いていなかったものの評点だけは(後に)付けていました。まさかの★2。分かってねーなアラサーの俺。
(2021.02.17 テアトル新宿にてデジタルリマスター版で再鑑賞)
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