コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] コルドリエ博士の遺言(1959/仏)

もともとテレビ用に製作されたものが劇場公開されたかのような紹介のされ方も見受けられるが、仏語版ウィキペディアの記述が正しければ、当初から、テレビ放映と同時に劇場公開が目指された作品らしい。
ゑぎ

 実は、この違いは私にとっては大きなものだ。それは、あくまでも「大きなスクリーンで見られることを意識して作られた」作品が「映画」だと考えているからだ。別の観点だと、上映時間中、観客を(半)拘束するが、観客にはその作品を選択した責任(と付随する権利)がある(テレビ以上に映画にはある)、というのが「映画」だと考えている(メディア論としてはもっといろいろな観点があると思いますが、長くなるのでこれぐらいに)。

 前置きはさておき、ファーストカットはフランス国営放送の看板からズームアウト。駐車場みたいな場所でルノワールが登場し、スタフが出迎える。テレビ番組の収録風景。番組名は「ルノワール劇場」だ。この、冒頭にルノワール本人の姿が見られるというのは嬉しいサービス。彼のナレーション(声)が流れる中、コントロール・ルームのモニター映像が大写しに切り換わって本編が始まる。

 こゝからのメインのプロットは、題材的にも(今現在の感覚では)到底テレビ向けとは思えないもので(それは、観客を拘束して見せるべきもの、何か別のことをしながら見るようなものではないもの)、矢張り、映画だと思う。まずは夜、一人歩きする少女が暴漢に襲われる場面のショッキングなこと(この少女がまた可愛い)。暴漢は、助けに入った公証人ジョリーをステッキで滅多打ちにするが、まずはジョリーの足を狙うという演出がいい。この暴漢−オパールの登場シーンは、ショッキングであると同時にとても面白いのだ。

 ちなみに、公証人ジョリーの役割は、物語全体の狂言回しのような、タイトルロールのコルドリエ博士及び暴漢オパールと共にもう一人の主人公のような位置づけだが、彼がちょっと粗忽者というか、おっちょこちょいのように描かれているのもルノワールらしい遊びの精神だと思う。例えば、コルドリエ博士のライバル医師−セヴランの病院へ入る前に、妙に足(靴)の裏を気にする所作が付けられている点だとか、終盤のオパールとの対決場面で、拳銃の扱いが、ぎこちなかったりだとか。

 さて、書くのが遅くなったが、本作の一番の見どころは、何と云ってもタイトルロール−ジャン=ルイ・バローのパフォーマンスということで間違いないと思う。しかし、これは多くの方が書いてくれるだろうと思うので、ワタクシ的には複数台カメラによるマルチ撮影について指摘しておきたい。例えば、オパールによる乱暴狼藉のシーンは多分、すべてマルチ撮影が行われていると思われるが、ほとんどそれを意識させない繋ぎ、云わば、アクション繋ぎを感じさせないよう編集されているように私には見えた。ともすれば、マルチ撮影はテレビ的な、スイッチングみたいな編集になりかねない弊もあるが、それは巧妙に避けられ、あくまでも映画的な画面を醸成している。さらに、ゼヴランのチェーンスモーカーぶりを見せつけるバストショットだとか、終盤のコルドリエの屋敷のロビーに集まって騒ぎ立てる使用人たちのショットなんかが顕著だが、ちょっと望遠レンズっぽい被写界深度の撮影が実に緊張感を創出しているのだ。

 あと、難点も少し指摘しておくと、私はルノワールにしては、切れの悪い編集も散見されると感た。例えば、終盤、コルドリエが大使を招待してパーティを開く場面の後、公証人ジョリーの帰宅の様子を細かく見せる部分、あるいは、この後の、ジョリーがコルドリエの執事から呼び出され、館へ入ってからの描写でも、肌理細かく見せ過ぎの部分がある。例えば、ジョリーとオパールが2人だけになって会話するシーンの前に、使用人たちが実験室を出ていく場面が挿入される部分だとか。さらに、コルドリエの吹き込んだ録音テープと、オパールによるフラッシュバックが2連打で挿入されるが、私はフラッシュバック嫌いということもあって、こゝも少々冗長に感じられた。

#バーティシーン以降の終盤になって出て来る庭師は、ガストン・モドーだ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。