[コメント] 国宝(2025/日)
私は“重い画や芝居”をたたみ掛けてくる李相白のケレン演出がちょっと苦手だったのですが、今回は李監督の持ち味が歌舞伎という“虚構性の濃い題材”と見事に調和した3時間に迫る圧巻の映画体験でした。
冒頭の長崎の新年の宴席のシーンで、一気に気分は(山下耕作や五社英雄を彷彿とさせる)“様式美”の世界に持っていかれてしまいました。ヤクザ一家の親分(永瀬正敏)と妻(宮澤エマ)のクラシック感が懐かしくも素晴らしい。私の記憶は浦山桐郎版の『青春の門』の主人公の両親役の仲代達矢と吉永小百合まで遡るしまつ。このシーンでは、縁側のガラス越しに、さりげなくかつ大胆に見事な雪(様式の定番!)が降っていて、その「雪のイメージ」は喜久雄(東一郎)の人生を通して主人公(吉沢)の心象風景として繰り返し描かれていきます。
本来の歌舞伎の芝居の良し悪しは私には分からないのですが、吉沢と横浜流星の二人女形による名作演舞ダイジェストはどれも美しく堪能しました。なかでも大抜擢により“筋”に反して曽根崎心中の大役をまかされた役者としての東二郎の不安と、親友との軋轢に悩む若者・喜久雄のわだかまりという二重の重圧に耐えながら演じるお初(吉沢)の芝居の迫力は圧巻でした。
吉沢以外の俳優たちもみな力演、好演。名門の血筋が醸し世出す半弥(横浜流星)の嫌味のない傲慢さ。東一郎の非凡さを認めつつ、半弥の母であり日舞の師匠として梨園の血筋にすがる寺島しのぶの理屈ではない心情。芸道の鬼たる花井半次郎(渡辺謙)の殺気すら及ばないレベル違いの妖気に包まれた人間国宝・万菊(田中泯)のバケモノ感。
そして、まるで甲子園を目指す野球少年のような無邪気な懸命さを発散させる少年期の東二郎を演じた越山敬達と半弥の黒川想矢の“青春”ぶりが初々しい。越山は『ぼくのお日さま』、黒川は『怪物』で主演を務めていた少年たち。将来が楽しみです。
あと触れておきたいのは、強い光量で歌舞伎という作られた和様式の“色彩と煌びやかさ”を強調するソフィアン・エル・ファニ(『アデル、ブルーは熱い色』の撮影監督)の映像演出。デジタル撮影の(良い意味での)ケバケバシしい色調が、歌舞伎(という舞台)の華やかな人工美を引き立てたせ、現実離れした役者の異形さを強調する。たとえば美と異様が共存する白塗り顔と、熱演のうちに無残に崩れた化粧顔のアップの多様は、実世界の葛藤が作りものの世界へ没入していくことで、様式美という不自由さへ挑み、破れ、負の自己愛に昇華されていく凄みを発散していた。
1970〜80年代の日本映画界には、こんな感じの骨のある大作映画がたくさんあったような気がするのですが。久しぶりに理屈抜きの「娯楽映画」にどっぷり浸りました。
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