[コメント] ふつうの子ども(2025/日)
女は小学4年生の三宅さん(ココア)−瑠璃。男2人はクラスメイトのユイシ−嶋田鉄太とハルト−味元耀大。犯罪映画らしく、3人は空き家をアジトとし、白いシーツ、仮面、文字切り抜きコラージュによる要求文、箱男のような段ボールの装置なんかも出て来る。そして終盤は法廷映画のようにもなるが、唐突に現れた瀧内公美がシーンをかっさらって、一人勝ちする。
ファーストショットはエレベーターの中。ユイシが入って来て正面顔アップ。オフで音声アナウンスがあって彼の自宅は5階と分かる。1階へ降り、マンションのエントランスを出て敷地の中をずっと後退移動、ユイシを捉え続ける。途中で友達たちもフレームインするシーケンスショット。カッコいい!本作は、中盤までは、ほゞ手持ちかステディカム(あるいはジンバルのようなスタビライザー)による撮影だ。同時に、被写界深度を浅くして、ピント送りも頻出するフォーカスの演出が目立つ。例えば、三宅さんが作文を読むシーンで彼女を見つめる(目が釘付けになっている)ユイシのショット。例えば、図書館で三宅さんに近づいていくユイシを、フォーカスアウトした三宅さん越しに撮ったショット。
これが、3人で牛を逃す場面の翌日から、一転してほゞ固定ショットになる。このカメラワークの選択は分かりやすい(少々アザトイと云ってもいい)演出のメッセージと思う。例えば、上で法廷映画のようと記述した、ユイシの母−蒼井優、ハルトの母−浅野千鶴、そして三宅さんの母−瀧内公美も呼び出された、校長先生−金谷真由美が仕切る(進行は担任−風間俊介が務める)相談室の場面。こゝのカッチリとしたフィクスの切り返しと、短くインパクトのあるカット挿入は、中盤までの「自由さ」の表出から翻って、秩序、規則、統制、規制といったイメージを表現するだろう。
しかしそれにしても、この終盤の瀧内の投入、その絶妙な傍若無人ぶりは面白い!首筋にチラッと見えるタトゥーのショット挿入なんて、抜群のセンスだと思う。瀧内がハルトの弟を可愛いと云い、それに執着する部分はもうコントっぽいが、多分これは、撮影現場のアイデアで、元々のスクリプトにはなかった造型のような気がする。また、ラストまで三宅さんが気丈であり主張を貫くこと、さらにユイシの恋愛感情に収斂するという構成も私は好きだ(これによって、社会的テーマ性がブレたとは思わない)。あるいは、単純なバッドエンドではない、主人公のユイシを、そして我々観客をも、軽く突き放して終わる図太さにも、ある種の爽快感を覚える。How dare you!
#他の子供たちも皆いい。生き物係の仲間でトカゲを飼っている颯真−大熊大貴、「鷹匠カフェ」やユイシとお菓子屋に行く場面が忘れ難いメイ−長峰くみ。
#ダンゴムシとワラジムシの違いは、触ったときに丸くなるかどうか。示唆的だ。
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