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[コメント] シザーハンズ(1990/米)

ティム・バートンの持つあらゆる要素がうまいこと噛み合った作品
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







2006年4月11日に何度目かの再鑑賞。シネスケに書く以前に観た映画でそれ以来だから、相当久方ぶり。 この映画の内容については、多くの方が素敵なコメントを書かれているので割愛する。 いや、ほんと、素敵なコメントが多くていちいちお気に入り投票するのが面倒なくらいだ。

本作の最大の勝因は「設定」にあるだろう。 おそらくこの設定、ティム・バートンの中で長いこと温めていたに違いない(もしかすると子供の頃から考えていたのかもしれない)。その状況さえ飲めてしまえば、ストーリーやテーマの隅々まで設定が有効活用されていることに気付かされる。 ティム・バートンのフランケン趣味全開でありながらマニア向けだけに陥らない構成。むしろこの設定が必然とも思えるストーリー&テーマは、相当な長期熟成がもたらした結果に相違ない、と私は勝手に睨んでいる。

もう一つの勝因は「陰と陽の画面」にあると思う。 これはティム・バートンの特徴の一つで、後の『ナイトメア〜』でハロウィンの国とクリスマスの国の「陰と陽」の画面の対比が最も分かりやすい例だろう。本作でも「城と街」が同様に描かれている。 (全編陰画面で押した『スリーピー・ホロウ』や逆に陽画面の『マーズ・アタック!』なんてのもあるが。そう考えると彼は結構「城」をよく登場させている気がする。)

私個人は、ティム・バートンのパステル調というか原色調というか「陽の画面」は好きではない。画面がとても薄っぺらに見える。 ところが本作では、この薄っぺらさが逆に良い。街の人々の薄っぺらさと見事に調和している。 典型的アメリカ郊外の住宅街(住人達)の薄気味悪さを描写したのは『アメリカン・ビューティー』であり、はっきり「気味悪い」と言い切ったのは『ボウリング・フォー・コロンバイン』だが、それらに先駆けてティム・バートンは描いていたのだ!

しかし、ティム・バートンの描く典型的アメリカ郊外の住人達の薄気味悪さは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』が言うところのアメリカ文化に起因するものではない。 ティム・バートン自身が「異端」として存在するが故の「一般大衆」に対する馴染めなさである。 『ビートルジュース』や『マーズ・アタック!』は「こんなことあったらいいな」という子供の夢想だが、本作や初期の短編『ヴィンセント』は主人公に「異端の自分」を重ね合わせている。

今、改めてこの作品を観直してそのキャリアを振り返ると、ティム・バートンには大きく分けて二つの系統があるような気がする。 「こんなことあったらいいな」娯楽系と「自己投影」私小説系である。 この両系統は完全に分離しているわけではなく、一つの映画の中でその比率が異なるだけかもしれない。そしてどの監督でも当てはまることなのかもしれない。だが、ティム・バートンは他の監督よりも色濃く出ていることは間違いない。

ただ、最近の“自己投影”は、「世間からの疎外感」を克服し、最後の砦だった父親との和解(それもある意味「こんなことあったらいいな」系ともとれるのだが)といったことが前面に押し出されていて、なんだかあまり消化されていないのが気がかりなのだが。

(評価:★5)

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