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[コメント] シンドラーのリスト(1993/米)

意義は高い。だが反戦映画としては無効。
ニュー人生ゲーム

**ネタバレ注意**
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充分見応えがあり、キャラクター、エピソードの描き方にもある程度深みはあった。 また、いわずもがなだが、直視すべき歴史を正視しがたい数々のシーンによって描き出したこと、そしてそれが「スピルバーグ・ブランド」によって多くの観衆を獲得したことに意義はある。 それでもこの映画が反戦への願いを発信しているとしたら、残念ながら有効ではないと感じる。

この映画が我々に与えた衝撃の多くは「人があっけなく殺される恐怖」が「あっけなく引き金を引く狂気」とワンセットになったものであり、そのインパクトは原爆のキノコ雲よりもはるかに強烈だ。 しかし、現在の多くの戦争は、この生々しい狂気を克服する必要なく成立し得る。 米国でこの映画を通じて殺戮に強い憤りを持った多くの人たちは、より合理的で「野蛮でない」殺戮に喝采を送ることができるのだ。

この映画で描かれる「悪」は、戦争そのものではなく、ドイツ軍である。終始ナチは「鬼畜」として描かれる。ドイツを舞台に英語で映画が進行すること自体をこの際どうこう言わないにしても、時折登場するドイツ語は、能面のような心を持ったドイツ軍人のイメージを充分に増幅する効果を持っている。

アーモン・ゲートと、「許し」のエピソードにはほのかな期待を抱いたが、彼にとって「許し」が「玩具」で終わってしまったのにはがっかりした。結果的にそれはラストの絞首シーンへのカタルシスに対する疑問の余地をなくしている。

また、リストの人たちが手違いでアウシュビッツに送られるくだりでは、リストの3000人の生命が救われたことに我々は胸をなで下ろす。 一方でシンドラーに将校が差しだそうとした“替わりの3000人”の運命が交渉の席でいとも簡単に左右されたことには注意は払われない。 ここでスピルバーグは、人命を「集合」として扱ってしまった。たとえ事実(もちろんすべての人を救う術などなかった)であっても、事実を編集した映画としては、このエピソードは後味が悪い。

この作品で描かれている戦争は、「悪い人たち」と「弱い人たち」の構図であり、その中でのシンドラーは完全な突然変異に過ぎない。 映画を観ている我々が抱くのは「悪い人たちに災いあれ」「弱い人たちに幸あれ」の思いである。

しかし、今、戦争の主役は、なによりもひとかたまりの民族を「悪い人たち」として見ることのできる安易さであり、「強くて善い人たち」の自覚に疑いを持たない大国だ。

僕自身は、戦争を描いた映画すべてがあからさまに反戦メッセージを持っている必要はないと思っている。 なので、作品としての評価は4点。 ただし、もしスピルバーグがこの映画によって反戦へのプロパガンダを行ったと自認しているのだとしたら、そのやりかたには配慮が欠けていると感じざるを得ない。

(評価:★4)

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