[コメント] 利休(1988/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
一番肝心な点― 何故自刃したのか―を比べてみる。
「千利休」の利休は、茶道に命を懸けた茶人―武人が合戦で命を懸けるように―として描かれている。「戦国時代の茶だ」と本人も言う。彼の生活すべてが茶道だった。
そして秀吉が何故、切腹を命じたのかというと、「いつも茶室で、真剣勝負で殺されていた秀吉は、木像の件、朝鮮出兵の件でカチンと来て、本当にポロっと出てしまったのだろう」 (有楽斎:萬屋錦之助)という感じだ。しかし、しまったと思った秀吉は「そう、ムキになるなよ」(秀吉:芦田伸介)と言う。それに対して、茶道生活に命を懸ける利休は、茶道に照らして「生きる場合は生きるのが自然。死を賜った場合は死ぬのが自然」と、突き放す。
一方「利休」の利休は秀吉が「幕府の内々の事は利休に任してある」と言う如く、茶道だけでなく、幕閣の一人という扱いだったと描かれている。
「なぜ、自刃するの?ちょっと謝れば済む事なのに」と妻(りく:三田佳子) に聞かれ、「一度謝ってしまえば、今後私は殿下(秀吉)の前で何に対してもダメだと言えなくなる」と答える。
当の秀吉も利休から手紙が来たと聞いて、「ついに尻尾を巻いて謝って来よったか。よしよし―」と笑顔で上機嫌だった。そしてそうでないと知ると、えっと考え込む顔になった。つまりその時迄この案件に対しては、秀吉はそれ程真剣には考えてはいなかったのだ。冗談半分だったのだ。要するにこれは利休一個人としての生き方の問題だったのだ。
茶人としてどう生きるべきか(また死ぬべきか)を追求した利休[熊井啓作]か、或いは一個人としてどう生きるべきか(また死ぬべきか)を追求した利休[本作]か。
どちらの生き方を良しとするかは、観客その人の生き方に依るのだろう。
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