[コメント] 復讐するは我にあり(1979/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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今更言うまでもなく、今村昌平は助平親父である。それは決してエロティシズムなどという高尚な(?)響きを持つものではない。もっと通俗な、人間なら誰しもが持ちうる本能的なものである。私はそれをあえて助平親父と表現したい。理由は特にない。
さて、そんな助平親父のキャリア久々の劇映画である本作を前に私が彼のことを「己れの本能的な助平心を満たすためだけに劇映画界に舞い戻った」などと表現してしまったのは、全篇を通して不穏な空気の流れるこの映画の中で、唯一絡みのシーンだけに人間の持つ本能的な助平心を感じ取って、純粋な興奮を覚えてしまったからである。いや、絡みだけではなく、本作に登場する女の、その肉体に、純粋な助平心を抱いてしまった(これを最初に観た高校生の頃は、猪木が本当に羨ましかった)のは私だけではなかったものと思いたい。
しかし、そんな人間らしいごく普通の空気が感じ取れるのもまさにこのときだけで、その他のシーンはというと、息苦しいくらいに不穏である同時に、肩書きで飯を食っているような、巨匠然とした空気が流れるものだから、ある意味私はこの作品を滑稽で仕方なく思ったりもするところがあった。特にラストのストップモーションなどはその最たるもので、そこまでして彼は表現者たらんとしたいのか、本当にもう最低だなと笑うしかなかった。
だが、そんなことを思いながらも、今改めてこの映画を思い返すと、これはやはり今村昌平という人間の、まさに皮一枚の表裏が見事に浮かび上がった、どう考えても彼にしか撮れない、もう好き嫌いを通り越して認めるしかない作品であるというしかなく、劇中の緒形拳ではないが、何故かはわからないけれど、こういう映画には中途半端な評価はいらないと、高い★をつけずにいられない自分がここにいるのも事実なのである。
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