[コメント] 名もなく貧しく美しく(1961/日)
忘れられた人びとの話である。戦前、戦中において聾唖であるということは、神の兵士として戦うことのできない男であり、神の民たる子を生むことのできない女だ。おそらく社会から無視された存在だったであろう。しかし、それでも彼らは生きていかねばならいのだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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秋子(高峰秀子)と片山(小林桂樹)の、誰も、何もいな上野動物園でのデート。けたたましく行きかう国電越しの告白。そして、満員電車の中での車両越しの説得。そんな世間から切り離された状況は、不自由さを強いられ差別され、さらに無視され続けた彼らの立場そのものだ。しかしまた、それは障害者である男と女の、他者の介在を許さぬ強い絆の象徴にも見える。そこには、無視され忘れられてもなお、生きていかねばならぬ者たちの姿がしっかりと浮き彫りにされていた。
秋子(高峰秀子)を忘れなかった人たちがいる。人並みの幸せを与えてやりたいと望み続ける気丈な母親(原泉)。長年の歳月を経て、明子のもとを訪ねるアキラ(加山雄三)。そして、それは息子の道夫へと受け継がれるだろう。これこそが、戦後の混乱から復興のなかを生き続ける障害者たちの姿に、気づき目を留めた松山善三の視線そのものだろう。
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