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[コメント] 抵抗〈レジスタンス〉 死刑囚の手記より(1956/仏)

私がこの映画の一番良い部分を上げるとするなら何と云っても汚物用バケツを中庭へ運び、汚物を下水溝へ廃棄するという日課を何度も反復する部分だ。こゝにモーツァルトのミサ曲がかかる。不謹慎かも知れないが思わずニヤけてしまう面白さ。成瀬『浮雲』の森と高峰が歩くシーンの反復を想起する。
ゑぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 カメラの視点の基本は主人公への窃視であり、彼の見た一人称的カットも少ない。だから、壁を通じて通信する隣の監房の男は彼の視野に無いし、彼と並ぶこともないので画面には映らない。この男はオフスクリーン(画面外)の銃声音で銃殺刑になったことが示されるが、画面に映らないことと銃声音の距離の感覚によって観客へ与えるショックの増幅が図られている。一方、もう一人の隣の房の老人については鉄格子越しに主人公と会話を交わすので画面に映ることが許される。このように主人公の見える範囲に限り、カメラは彼を中心にして存在し、彼に寄り添い離れない。だからこそ、ラストで主人公達の歩く後姿を物陰に隠れるようにして見続けるカメラの対置が感動的だ。それは、主人公がいずれカメラの視野外へ消えてしまうことが予期される、つまり、主人公がカメラの視線からの自由を手に入れるという感動だ。主人公達はプロット的にはナチスの虜囚から逃れられたのかも知れないが、より映画の表層に与して云えば、まとわりついて離れなかったカメラから逃れられたのだ。本作はカメラから自由を得るための抵抗を描いた映画だ。

 さて、本作のナレーション過多を指摘する人が思いの外多いのだが、私は全然気にならなかった。それは矢張りブレッソンらしい画面のスペクタクルが勝っているからだろう。手や足といった身体、或いは針金やスプーンや鉛筆、といった普通ならどうってことのない被写体が、生死を賭けた秘事のシチュエーションの中で最大限に強度を高めて画面として提示されているからだ。だから画面に目が釘付けになる。また、同時に本作は圧倒的なオフの音響処理の映画であり、ナレーションはモーツァルトのミサ曲と共にオフの音処理の一部だと考えるべきだろう。ナレーションの多さを云うのならば、くだんの銃声音や靴音や鍵の音、汽笛、自転車のペダルがきしむ音(?)などの過剰さをも指摘すべきだろう。

(評価:★5)

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