[コメント] スリ(1959/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「才能ある者は、犯罪を行なう権利がある」。主人公ミシェルの語るこの犯罪哲学は、あからさまにドストエフスキーの『罪と罰』を示唆している。また、ヒロインであるジャンヌは、純朴な信仰心の持ち主で、家族の犠牲になりながらも健気に働いており、そんな彼女の純粋さに、最後は主人公も改心する、という筋書きもまた『罪と罰』。勿論ブレッソン自身、そのことには自覚的であるようで、『罪と罰』の主人公が金貸しの老婆を斧で殺していたことを想起させるように、ミシェルも、転んで怪我をした両手が血に染まっているのを見つめる場面がある。
また彼の犯罪哲学は、最初のスリにも既に表れている。競馬場で、いかにも経済的に余裕のありそうな老婦人から盗みとるということ。競馬場という場所は、そこに集まる人間たちは遊びに使う金を手にしている、という点がミシェルの罪の意識を軽減していそうであるし、一か八かの賭け、という点では、彼の犯罪行為の危険性とのアナロジーも認めることが出来るだろう。
尤も、ミシェルが最初に母の許から金を盗んだ行為は、実は母に黙認されていたのであり、また刑事が彼に語るように、親族から金を盗るのは犯罪として立件できないもの。つまり、自分を人間関係や法から超絶した立場に位置づけようとしていたミシェルは、元はと言えば、母と法から目こぼしを受けていた存在であったのだ。
人間関係から自らを切り離すミシェル、という主題は、劇中の見事なスリのシーンでの、人物の手元、胸元、足元だけが捉えられたショットの、顔が全く映らないという点にも表れているように思う。スリのチームは巧みな連係プレーによって、金品を新聞紙やスーツといった隠し場所をすり抜けさせながら交換し合うが、その連携はただ金という実益だけの結びつきなのだ。ミシェルはいつしか、スリの名人の伝記以外の本には埃を積もらせたままにし、母親や、彼女を世話してくれるジャンヌ、友人ジャックらとの関係を避けるようになっていく。
ミシェルは一度改心するが、再び競馬場で、簡単に人から金を盗みとった男を目撃し、例の不公正感がまた頭をもたげたのか、そのスリから自分が掏ってやろうとする。この場面では、カメラはミシェルの手元ばかりでなく、競馬に視線を集中させる群衆の中のスリ男とミシェルの顔を、同時に画面に収めている。つまりこのスリ・シーンでは、ミシェルの人間としての葛藤を観客に想像させるようなシーン構成が計算されているわけだ。そしてこのシーンでミシェルは、実は囮捜査官であったスリ男に手錠をかけられてしまうのだ。
この、人格的葛藤を感じさせるシーン構成が為されていたこと、このシーンの前にはミシェルが真面目に働こうとしていたことを併せて考えれば、彼が良心に目覚めかけたせいで捕まってしまったような格好になっていると言える。実際、刑務所に面会に来たジャンヌに彼は、「油断していたことが悔やまれる」と、反省とも言えないような悔いを漏らしている。だがこれは彼に「罪と罰」を受けさせた上で浄化させる為の一過程なのだ。
ミシェルのナレーションが、「ジャンヌは面会に来なくなった」と語る。そして彼女からの、「子供が病気に罹っていたので会いに行けなかった」という手紙が提示される。何とも簡潔極まるシーン構成だが、一度ジャンヌを失ったかと思わせた後で、そんなミシェルを安堵させるような手紙、という展開によって、最後に彼が改心する結末の必然性を成り立たせている。必要充分な演出とは、まさにこういうことだ。
ところでブレッソンが出演者に素人を起用するのは、「リアリズム」を求めてのことなのだろうか。所謂「自然な演技」を求めてであれば、むしろこの映画に見られるような、素人の棒読み棒立ちの佇まいは、芝居がかってはいないものの、自然でもないだろう。
自然、ということであれば、ブレッソンが求めたのは多分、自然体の演技などではなく、単なる、剥き出しの自然としての人間の肉体そのものだったのではないか。この映画を構成している台詞、ショット、カット割り、人物の視線の動きを見れば、全て計算し尽くされているのが見てとれる。あとはただ、そこに生身の身体を配置するという、最小限の演出を行なえばいい。彼の映画の美しさは、緻密な計算性と、余計な演技を排し、ただそこに人が映っているという事実が与える存在感を純粋に切りとる手際の美しさなのだ。
登場する出演者は皆、非常にカメラ映えのする良い顔をしている。芝居を排した分、その一つ一つの顔が、その造形的な効果だけを際立たせている。この映画の美しさは、彼ら血肉を有した彫像の美しさでもある。
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