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[コメント] 赤い手のグッピー(1942/仏)

まだこの映画を見ていないのなら、何も読まずに今すぐブラウザを閉じた方がいい。
田原木

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







他のコメンテータの方も言及されているが、私もこの映画はまっさらな状態で見た方がいいと思う。 まだこの映画を見ていないのなら、少なくとも以下の私のレビューは見ないことをお薦めする。

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まず、錯乱したトンカンが眩い太陽の陽の中でうわ言を叫ぶ終盤のシーンが鮮烈に脳裏に焼き付いている。愛するミュゲに拒絶され警官に追い詰められたトンカンが吐く幼稚な台詞は、かえってその幼稚さから、トンカンの持つ哀れさや美しさを引き立たせていた。身を震わせるほどに素晴らしいシーン。

また、映画を見終わった後に気付くのは物語を終始貫く赤い手の暖かい瞳だ。 ムシューをからかう序盤からその暖かい瞳を見つけることが出来る。このフェルナン・ルドゥーの演技は深い。

さらに、警官の質問をはぐらかすグッピー一族の応答シーンは痛快であってリズムもよく非常に面白い。ベッケルの上手さが出ていたように感じた。

最後になったが、ここで二つの台詞を取り上げてみたい。

まず、トンカンの遺品を触ろうとするミュゲに向けられた「資格がない」という台詞。これはミュゲのみならずトンカンを誤解していた自分にも向けられていたように思う。トンカンを誤解し色眼鏡で見ていた者にトンカンを哀れむ資格はないのだ。

次に、赤い手のムッシューに対する「百姓は金を尊ぶ。金は労働だから」と言う台詞。これも都会暮らしをする自分に向けられていたのではないか。すなわち、このグッピー一族の金に対する執着を都会の基準で判断してはいけない、と。

この二つの台詞を見てみると、ベッケルに「偏見やステレオタイプで人を判断しようとしたこと」を責められたような気がする。冒頭で「まず映画を見たほうが良い」と述べてみたのもこの感覚を大事に思うがゆえであった。

(評価:★5)

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