[コメント] 愛と死をみつめて(1964/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
確かに、吉永小百合の可憐さがよく分かる作品だ。相方の浜田光夫と顔のアップが交互に映されるシーンがあるのだが、ラインの美しさが全然違う。まず鼻の形だが、浜田のは呼吸穴以外の何物でもない無造作な感じだが、吉永のは、高くはないが均整がとれていてお上品。次に目の下から頬を経て口もとへのライン。浜田のは凸凹していびつなのだが、吉永はふっくらと丸みを帯び滑らかな曲線を描いている。
ま、男の顔と比べてもしょうがない。実際のところ、このマコ=浜田のキャラクターに、なかなか捨て難い魅力がある。鬱陶しいくらいの生真面目さを持つ男で、今の世の中にいないとは限らないが、少なくとも映画の中で描かれているのを観たことない。どちらかというと映画で描かれる場合は、この生真面目さはやはり鬱陶しいものとして、あるいは滑稽なものとして描かれるのではなかろうか。この映画の中では、普通に男らしさとして肯定的に描かれており、その感覚がかえって新鮮である。
例えば、ミコ=吉永が自分の病気を儚んで、もし私を憐れむなら、今ここで一緒に自殺してほしい、というようなことを言うのだが、これに対してマコ浜田は、「もし君が病人でなければ、殴り付けてでも君の根性を叩き直してやるんだ!」と絶叫するのである。今こうして文字にしてみると、ずいぶん怖いこと言ってるな、と思うのだが、観ている最中は、果たして自分はこういう場面で、ここまで強くいられるだろうか、相手の心中を慮るあまり、もっと手前の段階で黙り込んだり、はては逃げ出してしまったりしないだろうか、と自分の弱さを感じてしまったことを、正直に告白しておく。
もちろん(という書き方はよくないが)、マコ浜田も最後にはいたたまれなくなって、逃げ出してしまう。しかし、そりゃ逃げ出すよ、と思う。駒ヶ岳の霧について、嘘をつかざるを得なかった気持ちも分かる。少なくとも、男なら逃げ出すべきでない、なんてことは無責任に言えない。言うだけなら簡単だけど。
最後の瞬間に、ミコ吉永の胸に去来したものはなんだろう。誰しもいつか死ぬのだから、いずれそれは分かるのかもしれない。だが、それは映画にはできない領域だ。人生の、すべての瞬間を映画にできるわけではない。映画にはできない領域を、映画にできない領域として、そのまま描いた映画。観終えてそんな感想を持った。
80/100(04/08/02記)
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