[コメント] 黒部の太陽(1968/日)
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ここでの評価も低いので、正直言って「いやあ~黒4ダム造るのは大変だった。とにかく大変だった大変だった」に終わる“黒4ダム大変だった讃歌”映画なのだろうと思ってた(そうだったとも言える)。もちろんそれでもこの横綱級の“幻の映画”をスクリーンで観られる機会は貴重だろうと見に行ったわけだ。
ナレーションなんかも一応あるのだが、最低限に抑えられ、基本、ドラマによって紡がれていく物語だったのがまず好感。なおかつ、裕次郎というキャラクターの存在によって(三船の“人事案不服”がその露払いを務めていたとは言えるが)価値観の相克が生まれていた点が、ドラマに深みを与えていたと思う。しかもこの相克、“個より公”対“公より個”といって、日本人や日本映画が正面から向き合ってこなかったテーマであるから、凄い。
本当に正しいことは何なのかを自分で考えて突き詰めるのではなく、自分は「間違っているのではないか?」と思ったことでも、組織が「正しい」と答えを出してきたものには、それを受け入れ、無理からにでも自分に信じ込ませ、しゃにむに前に突き進む。これが日本社会の原動力であったことは、戦前も戦後も同じだ。裕次郎は、そこに始め批判者として登場し、やがて「腕を組んで傍観している」訳にいかなくなり、つまり「仕事の魔力」とでもいうものに魅入られ、父と同じ道を歩み始めるのだ。
裕次郎が、座り込んだ坑夫たちに声を掛け、自ら率先して仕事に関わり出したとき、私たちもまた、この巨大な物語世界に引きずり込まれる。ここまでたっぷり1時間。映画が自ら課した物語の重量感と、それに押し潰されることなく観客を巻き込む仕掛けの巧さ、確かさに、恐れ入るほかなかった。
経済ドラマとしても見応えがあった。特に関電社長(滝田修)が熊谷組専務(柳永二郎)に頭を下げるシーン。張り詰めた緊迫感や、その迫力といったらなかった(前段でのサウナ?における三船による柳への“贈賄提案”がその露払いを務めていたとは言えるが)。
ただ、最終的にはこの作品も危険な日本の映画だった。現実を見据え、問題の所在を突き止め、それに合理的に対処していく、ではなしに、泥縄的にひたすら頑張りに頑張りを続けていると、最後、神風が吹くみたいにして突然問題が解決してしまう。映画として、それこそ語るべき物語だと、そう描かれているだけで、実際はしっかりしていた可能性はありますが。少なくとも、この関電が今の関電なら、原発を再稼働すれば、いつか必ず大事故を起こすだろう、という感じだ。
でもまあ、日本映画の金字塔です。大出水シーンだけでも見ものです。見られて良かった。熊井啓の新潮文庫版もぜひ読みたいと思っています。
☆ ☆ ☆
は。そうであります。裕次郎が、己れのドリルで、初めてトンネルを貫通した瞬間に、であります。これぞまさしく「黒部の太陽の季節」・・・(以下ボコボコ)。
85/100(13/07/21記)
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