[コメント] 男はつらいよ 葛飾立志篇(1975/日)
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桜田淳子の母・雪江は生前、自分が男に騙されたのは、自分に学問がないからだと悔しがっていた。ハゲ坊主(大滝秀治)からその話を聞かされた寅は、何故か、自分にも学問が必要だ、自分も勉強しなければと思い立つ。この辺りの寅の感情の動きが、どうしてそうなるのか判りにくかった。学問なんかなくたって、人情の機微をよく知る寅だが、そんな寅の内にも、学問に対する憧憬みたいなものがあって、それが間欠泉のようにときどき込み上げてきたりするのか。しかし、そもそも男にのぼせて騙された女が、自分の男を見る目のなさを反省したとして、それは自分に学問がないからだと考えるもんだろうか。学問とは、人を見る目を養うものという位置づけなのか。どうも破戒坊主(大滝)の適当な戯れ言のようにしか聞こえなかった。
マドンナ(礼子=樫山文枝)にもイマイチ花がない。学問をする女の清々しさみたいなものは表していたけど、寅なんか最初の邂逅シーンでは、そこらの工場の女工さんかなんかだとすっかり見下しちゃってた。ホの字になったのは、2階に下宿している人だと知り、さらには職業が大学助手だと知ったからだろう。一目惚れならともかく、この手の下卑た惚れ方は、これまでの寅のキャラクターではあまり見ない気がしたけど。
礼子嬢も、田所教授(=小林桂樹)に惚れてる訳はねえだろうと思ってみてた。が、寅には「結婚することになった」と話すので、あら、キャラクターを読み違ってたのかと思い直した。ら、電話では教授をフッてしまう。こういうチグハグさも白ける原因。
寅が勘違いしたことにはなっていた。だが要するに、この恋に実りはないことに自分で気づいた訳だ。不思議に思うのは、こういうことに自ら気のつける男が、どうして何度も何度も不毛な恋愛の道に突き進んでしまうのか。寅が愚かなのは、女にすぐ恋をしてしまうことではない。何度も何度も同じように失恋を繰り返すことにある。そんな要件定義というか方向づけが、本作ではなされたのかなあと思いました。
75/100(19/2/5記)
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