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[コメント] 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様(1994/日)

燃えるような恋をしろ。映画の世界においては、決して異端な主張ではない。でも、寅さんから言われると、なんか釈然としない。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 本作は、寅と満男の恋話の比重が半々ほど。久々に、寅がマドンナ(かたせ梨乃)に惚れゆく過程が(本シリーズ基準で)丁寧に描かれる。ここ数作のパターンで、マドンナは、寅さん面白いと即、寅に惚れる。だが結末は、旦那が迎えに来て連れ帰るという、曖昧で突き放した形。以前のように寅がこっぴどくフラれるということはなく、見ててつらさはない。

 満男の方も、結果的にはうまくいく。江戸川土手を駆け上がるスローモーションの恥ずかしさは別として。ただ、寅の台詞に「燃えるような恋をしろ云々」とあるが、牧瀬里穂との恋話は、決して燃えるような展開にならない。かなり無理繰りにでもそうならないようにして見える。それでいて、メッセージとしては寅にそう言わせる。恋愛映画の多くは、そういうことを口に出して言うのではなく、燃えるような恋そのものを描くわけだから、メッセージの発し方としては、やっぱ変わってると思う。

 そもそも、誰にでも簡単に惚れてしまう寅は、過去に一度だって燃えるような恋をしたことがあるのか。まあ、熱出して寝込んでたりしてたけど、昔は。でも、どちらかと言えば、相手の心理的負担なんかも慮って、無様にすがりつくような醜態をさらす前に、スッと身を引くのが、寅の流儀だったように思う。あるいは、相手の気持ちに応えきれない自身の不甲斐なさを自覚し、身動きとれなくなる、とか。

 脚本家の苦心が偲ばれなくはない。しかし、満男に対しては、本当に好きな人・幸せにしたい人が現れたときのために、確固とした経済基盤を備えておけとか助言するのが、伯父としての本来の務めではないか。渡世人だから、みたいな言い訳に逃げ込まないで済むように。

75/100(19/9/7見)

◆◆◆◆◆以下21/3/3追記◆◆◆◆◆

 89年までは年2作ペースで撮られていて、年1作になってから90、91、92、93、94と本作で5作目。前作(93年)までは、寅の帰還が「久し振りだ」「久し振りだ」ということがしきりに言われていた(作中で取り上げられない「帰還」はないのだ)が、本作はついに言われなくなった。そろそろ「年1作ペースから上げることはもうできない」と思い定められたということか。事実、翌95年の次作が最終作になった(もう少しは続くものと思われていたのだろうが)。

 タコ社長(桂梅太郎)の太宰久雄も渥美の後を追うようにして亡くなったが、寅との喧嘩シーンにしても、満男篇あたりから見始めた人は何とも思わないだろうが、初めの頃からシリーズを観続けてきた者からすれば、それだけでコメディと言うか、喜劇、ないしは笑える劇=笑劇として成立していたというのに、もはや口先だけかみたいな、何とも悲しくて悲しくてとても遣りきれない。 

 晩年の作品には、こうした悲しみが通奏低音のように鳴り渡っている。そんな中で救いというか慰みは、やっぱ満男のマドンナだ。前作の城山美佳子さんは、地域の高齢住民から必要とされる庶民的な医療従事者という役割をよく体現していたと思う、ゴメンナサイ。ゴクミと本作牧瀬里穂を比べると、牧瀬さんの方がやや険のある美女という感じなのかな。でも芝居力の差は歴然としている(=ゴクミが限りなくゼロなのだが)。つまり表情が豊かだ。年も吉岡秀隆に近い(1歳差。ゴクミは3歳差)し、僕なんかは菜穂ちゃんの方が断然満男に似合うのにと思うのだが。少数意見かしら。

 いずれにしても、若い身空で、なんにもわかっちゃいないくせに、「恋は疲れる」なんとうそぶく満男に対し、伯父としてはガツンと言ってやる必要はあったかもしれないと、二度目に見て少し思い直す。前作までと比べ、真面目に仕事していて、駄目人間として描かれる度合いの下がった満男に、心情的に少しは寄り添えるようになったということかもしれん。

 ただ、自分だってまだ結婚なんぞしちゃいないくせに、妹の結婚の心配なんかして、嫁にもらってくれと後輩を呼びつける先輩(だいたい大学の先輩て何の先輩? 満男はなんかサークルにでも入ってたか?)の設定て、ますますあり得ねえと疑問は募った。

(評価:★3)

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