[コメント] 男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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老人ホームに迷い込んだのかという見るに耐え難さ。おいちゃんもおばちゃんもタコ社長も細くちっこくなっちゃって、声のトーンだけは一緒だからかえって振り絞るような痛々しさがあって。ひろしもさくらもぽやっとしちゃって、特にさくら(倍賞千恵子)なんか顔全体が垂れ下がっちゃって、お前それ映画女優の顔じゃないだろう、という感じで目を背けたくなる。源公だけが変わらない感じだったけど、あとはかろうじてリリー(浅丘ルリ子)がシャキッとして背筋のピンと伸びた感じのあるのに救われる程度。そのリリーだってポンポンものを言うトーンに苦しさがあるしねえ。(昔からそういう傾向はあったけれども)
おそらく、山田洋次自身が老いというものを受け入れきれていない。毎年休まず作ってたわけだからしょうがないことを考えれば、凄い映画作家だとも言えるけど、若さにも明るい部分とくらい部分のあるのと同じように、老いにも両方あると思うのだが、無理に明るい部分だけを託して描こうという感じがある。老いを映画的に(つまり美をもってして)描く覚悟がないんだな。
映画として言うと、雑然としたエピソード間にまとまりというか統一感がないよね。例えば満男(吉岡秀隆)が砂浜に「泉」と書くシーンだけど、確かにわれわれの日常のワンシーンを切り取っているという感じはあるけど、どうもその場で思いついただけのシーンという感じだよ。これが例えば「泉泉泉泉・・・」と10個も20個も書いた文字列が波に掻き消されるという情景だったら、もう少し統一感があったんじゃないかと思うわけだが。想像力というか、思いつきがすでに乏しくなっていて、少ない選択肢の中から選んでいるという感じが如実に現れてちゃったりするなー。
もはや寅さんも達観しちゃって、自分ではどうしようも出来ない思いに悩み苦しむという風情ではないのだねー。若いってやっぱ素晴らしいことなのかも・・・・・・。
75/100(08/09/05見)
11年振りに観直す機会がありました。BS-テレ東が、寅さん50周年で、毎週末、1作ずつ放映したのを順に観てきました。くるまやの面々が、徐々に老いてゆく過程を見るので、今回、急速に老け込んだ感じはやわらいだかな。本作を鑑賞する上ではプラスに働いたと思います。寅(渥美清)でさえ、台詞に力があるように見えるシーンがありました。ただ、前作までと比べても、特に目に光がなく、ギクリとさせられました。
寅とリリー(浅丘ルリ子)の恋話パートは感無量です。前回鑑賞時は、ついにこの最終作まで寅をマドンナ(就中リリー)と結ばせることはしなかったんだな山田洋二は、との思いにより強くとらわれました。でも今回は、最後は喧嘩別れしたとの結末ではありましたが、寅とリリーの関係は、また十数年会わない関柄に戻るということではなく、付いたり離れたりを繰り返す新たな関係を築くのではないか、そんな匂いを感じとることができました。次作も計画されていた中で、本作は、本シリーズとしては冒険だったのでしょう。また、このことが、計らずも大団円に似た感じを生んでいたように思います。
満男(吉岡秀隆)と泉(後藤久美子)の恋話パートは、話の構成が緩すぎる気がします。泉が別の男性と結婚するという話を聞き、満男が取り乱すのは分かりますが、あの子どもじみた反応はなんでしょう。また、なぜ泉の式の日取りや会場、通行ルートまで満男が把握しているのか。大島での告白シーンも変です。泉からの問い掛けに、満男はなんと、「愛してる!」と返します。しかし、普通そこは、好きだ!とか、そういう言葉ではないか。感覚を疑いました。
これで終りかと思うと寂しいです。来週から、何を見ればいいの?なんて。いくつかの傑作と、多くの秀作、そしてシリーズ物を観る楽しみを知りました。テレ東さん。監督・スタッフ・共演の皆さん。そして渥美清さん。ありがとう。お疲れ様。
(19/9/14見)
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