[コメント] 恋する女たち(1986/日)
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こういう、だってアタシ何も知らないもんと知らないことを主張する映画が80年代には大量にあった。それは相米のように、すでに固定化された世のつくりと抵触する箇所は面白く、そこまで踏み込まないと我儘な自己主張になった。
「尼寺へ行く」みたいな自虐の独走と「のたまう」みたいな語尾連発。ひと昔前の少女漫画風の独白長科白は相米らも多用したものだが本作はこの極めつけだろう。漫画で読めばそうでもないが映画で観ると恥ずかしい。世間と折り合わない自意識過剰
面白いのは斉藤由貴の視線恐怖症的な描写で、視線感じて振り向いたら真っ暗な教室、夜の路地、というショットがいい。この視線は斉藤に想いを寄せる年下の菅原加織のものと判明して、アタシも好きになるならないとアタマで考えている斉藤。『メイン・テーマ』の薬師丸らと同じ造形で、同世代の女の子の「共感」は勝ち得るのかもしれないが、大して面白くない。
これに相対するのがレズビアンの小林の積極性で、『転校生』の自己パロディのようで、斉藤のヌード描いて、アタマで考えるなと一度だけキスして、あんたは私の憧れだからと一定の距離保って、歩道で手振って爽やかに別れる。彼女にも内面には斉藤と同じ葛藤があるのだろう。彼女が記憶に残った。斉藤は彼女に学ぶのだろうという予感はいいものだった。斉藤と小林の話に絞ればいい作品になったと思う。
その他、姉の原田貴和子(田舎の旅館継ぐために明るく見合い結婚するが最後に川津祐介と別れのキスが目撃される)や友人の高井麻巳子(モテすぎて男同士が海辺で『理由なき反抗』タイプの決闘)、相楽晴子(年上の片思いの恋人が去る)の件はありふれていて冴えない。モテ男の柳葉敏郎はいい造形だがそれ以上ではない。主要人物みんな片想いというのが味噌なのだが、平凡な件が多すぎた。
収束の「振袖で決めた友人三人の岩場での野点の『サウンド・オブ・ミュージック』みたいな空撮は、危険な予感があり良好。ラストの小林が描いた斉藤の裸像(ネットに流出しているのを見たことがない)は、脱がないアイドル映画へのいい回答だった。再見。
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