[コメント] 心の旅路(1942/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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冒頭の、ハラハラと花びらの舞い散る美しいシーンから、深みのあるジョゼフ・ルッテンバーグのカメラに魅了される。霧の夜の街、客で溢れかえるバー、ショーの舞台の喧噪から、蒸気機関車でひなびた郊外の一軒家への転換。サクサクと進む物語を、厚みのあるものにしているのは、間違いなくこのカメラだ。
グリア・ガースンは美しいが立派過ぎて?日本ではあまり人気がなかったようだけど、ショーガール、社長秘書、閣僚の夫人と、社会的地位が上がるほど似合ってしまうのは致し方ない!?ロナルド・コールマンともども、イギリス人だけにこの物語に必要な陰影感、抑制の効いた奥行きのある演技が素晴らしい。
ハーバート・ストサートの音楽も、でしゃばることなく、さりげなく主人公の境遇・心境の変化を暗示して芸が細かい。1942年という時代としては前衛的なコラージュも効果的。
それらをまとめるマービン・ルロイの演出のクールさが、このベタベタなメロドラマを味わい深いものにしているという点で、やはり映画表現の一典型なんだと思う。説明過多にならず、感情を引きずらない物語の推進力が、観客をどんどん引き込んでいく。
しかし。
それだけであれば「よくできたメロドラマ」でしかないだろう。まあ、実際にそう評価している人も多いのだと思う。ところが、それにしてはこの映画、何度見ても飽きないし、何度見ても泣ける。何故なのか、自分でも不思議だった。
原作を読んで見て、その秘密がわかった気がした。もちろん、あの倒叙形式の小説を映画化する脚本の技術は見事だ。小説は(当時流行の)ミステリー仕立てで、最後の最後まで、レディー・レイニアがポーラと同一人物だということが秘密になっている。これでは映画化できない。それを(小説とはまるで違う)この脚本、この構成にしたことが、まず勝利。
でも、それよりも本質的なのは、この物語が、戦争というものに対する最も根源的な否定の決意表明であることだ。物語は、第一次世界大戦が終わった日に始まり、第二次世界大戦が始まる日に終わる。二つの大戦の間の不安定な時期に、「絶対に遅すぎることなんてない!」という、希望を決して捨てないポーラの生き様に、打たれてこその感動だ。
小説では、そうした「反戦物語」としての要素は明白だけれど、映画ではほとんどが「省略」されている。そもそも、2時間という中で人生を、宇宙を、永遠を、表現する映画の演出技術の根幹は「省略法」にある、とも言われる。この映画では、例えば脚本は、元の記憶を取り戻してポーラの前から姿を消したスミシイの10年間を追うが、ポーラの方がどうなったのかは全く語られないまま、突然彼女は観客の前に再び姿を表す。もう2001年の骨が宇宙船になるシーンに匹敵するインパクトだと思う。突然消えたスミシイを探し求めたポーラの10年の苦労は、その後たった一言二言のセリフで触れられるだけだ。
それ以上の「省略」が、小説では重要なテーマになっている二つの戦争の間の不安定な世相(ナチスをめぐるの情勢のニュースなどが要所要所に挟まれている)という要素を、全部削ぎ落としてしまったことだ。実際、この映画のテーマが「戦争が影を落とす不安の時代に、希望を失わずに生きること」であるなどと、誰が気付くだろうか?
しかし、そうしたテーマを示唆するあらゆるセリフやエピソードを小説からそぎ落としてなお、この映画のテーマは、やはり「戦争が影を落とす不安の時代に、希望を失わずに生きること」であることが、何よりも素晴らしい勝利であり、何度見ても泣ける理由なのだろう。
僕など、この映画を1942年という時代に制作したということ、この映画を作り上げた人たちの心意気を考えただけで、また泣けるわ。
きっと、みんなが思っている以上に、素晴らしい映画だと思います。
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