[コメント] もう頬づえはつかない(1979/日)
風俗的には目新しかったのかも知れないが、馬鹿な男に囲まれた桃井かおりの自己憐憫以上のものはない。原作はもっといいものなのだろうと思うばかり。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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東陽一としては、森本レオの情けなさ(彼は山本圭のパロディに見える)と共に全共闘を終わりにしましたという含意、女性の事情を顧慮しなかった活動への反省と自虐なのだろう。しかし本作の森本の役処は余りにも阿呆で一方的、何のドラマも発生しようがない。映画百年の歴史はそのまま女性の地位向上の歴史な訳だが、戦前のミゾグチ作品のほうがずっと画期的である。
さらに奥田瑛二も伊丹十三も大した面白味もなく、結果、木偶の棒たちに囲まれた桃井かおりの自己憐憫ばかりが鼻につく。物語も随分投げやりで、例えば桃井がなぜ薬科大学を辞めたのかは重要だと思うのだが(それで仕送りを止められる)大して説明もされず意味が判らない。
いったい本作は撮りたい画というものがあったのだろうか。古典的な物干し台の他はどれも画にならず、しようともしていない。ただ桃井の同衾シーンをホワイトで色調整するぐらいの体裁でしかない。森本との別れの喫茶店、桃井が床にグラスの水をこぼすキメのシーンなど、もう少し真面目に撮ってもいいだろうに。音楽のセンスも最低ランク。独立系の悪い処ばかりが出ている。
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