[コメント] 津軽じょんがら節(1973/日)
73年当時にして、ここに写し取られ映し出されているような情景と観客との距離感はどれほどのものだったかが気になった。土着的な風土とその因襲に縛られつつ暮らす人々という図、それを生み出す郷里幻想は、今ならかろうじて沖縄あたりになら投影されるかもしれないが、本土の青森や鹿児島あたりでは無理だろう。また沖縄だって多分に南国的、楽園的イメージの明るい部分だけ抽出されて投影されることになるように思われる。(では北海道はどうなのか。北海道はやはり日本史的には「開拓地」だと思う。「土着的な風土とその因襲に縛られつつ暮らす人々という図」など望むべくもないのではないか。)
この映画に出てくる、近親相姦で生まれた盲目の少女(またこれを演じているのが如何にも田舎臭い風貌のマイナーな女優さん)とか、ゴゼとかイタコとか如何にも土着的な風土とその因襲を表す要素は、どの程度観客の現実の感覚と地続きのものだったのか。ふと思い出すが、翌74年の『田園に死す』に出てくるそれら記号は過去の追憶を象徴的に構成する要素として過度に粉飾され、映画の現在と並立し、互いに鬩ぎあって存在するという意味で、確信犯的に地続きのものとして示されていた。その触媒になっていたのは寺山修二という作家の個であって、その個の存在が映画の中の存在を現在(その映画を新しく観ることになる観客の常なる現在)まで地続きのものとして送り届ける、タイムトンネルの役目を果たしていた。
しかしこの映画には勿論そんなものなどない。『田園に死す』のそれらに類する記号が無時間なのに比べれば、この映画に映し出される要素は、時代的・時間的なものである。だから気になってしまう。それは同時代的に見えるものだったのかどうか。もし同時代的なものとして受け容れられていたのであれば、その頃と今この現在の距離は、非常に遠いものに感じられる。もう35年前、たった35年前。
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