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[コメント] 砂の器(1974/日)

日本人の裏側というか切り捨ててきたものを感じました。 <追加> 「デジタルリマスター版」なるものを、関西の某映画館で見ました。 やっぱり泣けますね…ただ、あの、少年が走る場面の「手」がちょっと不自然?『グラディエイター』みたいに。
YO--CHAN

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







毎回「ぐっ」ときてしまう自分が情けない。布ふぶきがアップで流れるだけでぐっときてしまう。

しかし、だからこそそんな自分を笑ってみたい気もする。敢えて冷静に見直してみたい・・・

うんと冷たく見て、犯人と断定できる決定的要素は「凶器の石と和賀の指紋が一緒」。これしかない。これがなければ逮捕状は出なかった。田中邦衛版でも言われている通り証拠に乏しい。

森田健作も言う通り、紙ふぶきの女の流産死が、和賀と犯人結びつける決定打となった。(避妊していればよかったのか?)

その紙ふぶきの女すらも、新聞記者が偶然列車で見かけたもので、その記事が運よく新聞に載り、その新聞を偶然刑事が読んで、それでまたその新聞記者は、偶然その女と再会する・・・当時の東京は、よっぽど記者が多く、列車や飲み屋が少なかったのかと皮肉を言われた事だろう。最後はさすがに松本清張も照れたのか「いやあ、偶然なんだなあ」と記者に言わせている。

かつて金田一が言った恐ろしい偶然の連鎖。三国連太郎の見えざる手の様なものか。それこそがもしや、主人公の言う「宿命」の力なのか。

息子が心を鬼にして恩人を手にかけ、父が「こんな人はしらね」と血を吐く思いで泣きながら証言しても、宿命の力で?刑事が舞台裏にやってくるラストは、本当は暖かい結末なのかもしれない。

※ やや脱線ですが、先日某コンサートで「宿命」を演奏していました。(TV中居版の楽譜のものですけど)。まさに映画内のシチュエーションと同じ。ピアニストも29歳の若き俊英でなんだかピアノが謳っている様な素晴らしい演奏。観客もオケも自分も含め、異様なテンションで大喝采でした。

(評価:★5)

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