[コメント] 雨のなかの女(1969/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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コッポラ監督の初期作品。暗めのロードムービーなんだけど、観ていてやるせない、もの悲しい気持ちになってくる。そんな作品を観られるものにきっちり仕上げているんだから、監督の実力の片鱗を見せつけられた気分になる。メロドラマが嫌いな私だが、これはとても好み。
主人公のナタリーが家を出た理由は精神的に不安定だったからで、そして気まぐれと、寂しさも手伝って度の途中でジミーと言う男を拾った。だが、見た目非常に男っぽい彼は、実は脳に障害を持っており、まともな生活も、気の利いた会話も出来ないことが分かる。人の言うことに従うことしかできず、ナタリーの後を常にくっついてくる。それに辟易した彼女は彼を捨てて彼女を誘ったもう一人の男の元に赴く…
…と、これがロジカルに考えた場合のストーリーフロー。これは確かに正しかもしれないけど、物語を語るには明らかに間違っている。
この映画の良さは、説明不能の中途半端な気分を満喫するところにあるんだと思うから。
“なんとなく”したい、あるいは“なんとなく”したくない。と言う曖昧な境界線上に自分が立たされている、モラトリアムな自分自身。このままでは駄目だと言うことが分かっているし、常に不安がつきまとうんだけど、それでも今の生活から抜け出せない。と言う状況をどうにも思い出させてしまう。そう言う状況に持っていけただけで並々ならぬ手腕を感じるよ。
観ていてとても不安な気持ちにさせる、そして居心地の悪さというものを否応なく感じつつも目を離したくもない。怠惰な気分に陥れる作品だ。
ただ、勿論実生活においてそう言った怠惰もいつか終わりが来るように、この映画も終わりを迎える。
今までナタリーのお荷物でしかなかったジミーの意地、そして感情が噴出して彼に謝り続けるナタリー…
涙が出た。
彼女も彼も、このままじゃいけない。今の生活をうち切る事を求めていたはず。そして死というものによって、否応なく断ち切られる生活。硬質な現実に断ち切られる柔らかい心。心から切り離され冷たい現実に戻されていく肉体。
こんな不思議なものを監督は見せたかったのかも知れない(外れてるかも知れないけど)。
ところで、この作品において警官役で登場したデュヴァル、この人、狂気をはらんだ役作りがとても上手いね。デビュー作の『アラバマ物語』も登場するのはほんの一瞬とは言え、強烈な印象を与えてくれたし、同じコッポラ監督と組んだ『地獄の黙示録』でもあの強烈なキルゴアという存在感を際だたせていた。本作でも、“一見まともで人当たりも良い、だけど、常に苛々してる”と言う役を好演。最後の切れまくった演技は凄かった。カーンも純朴そうな(事実、これほど純朴な人間もいない)役をうまくこなしていた。
この映画の撮影にはキャラヴァン隊を組んでアメリカ中を回って行ったそうで、その場で生じたハプニングも活かしてる。丁度ニュー・シネマの流行りだした時分、見事に時代に適合した作品だったと言っても良いんじゃないかな?
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